エドワード・モースが日本滞在中に持っていた写真があるのだが、初めてそれを見た時、なぜか、自分の少年期を見ているような「懐かしさ」を感じた。着ているものはもちろん違うのだが、そこに映っている人々の雰囲気が、私の遠い記憶に呼びかける。何かが私とつながっている。

モースは、次のように記録している。「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」(石川欣一訳『日本その日その日』、一九七〇:原著Japan Day by Day 1917)明治期に多くの外国人が日本を訪れたが、彼らの手記を見ると、文明開化「以前」の日本は、物質的には決して裕福ではなかったが、精神的な面においては、現代の私達から見ても憧れるような幸せを実現していたらしい。モースは次のような事も言っている。「衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。」(同上)

 

最近、日本史を千二百年(十二世紀)単位で区切る手法を思いついた。日本の歴史の始まりを、初代天皇である神武天皇が即位した日とするなら、その元年から十二世紀まで(西暦BC七世紀~AC六世紀)が第一ターム、十三世紀~二十四世紀(西暦六世紀~十八世紀)が第二ターム、二十五世紀(西暦十八世紀~)からが第三タームとなる。第一タームというのは、つまり、大和民族が興り、列島に存在した複数のクニを統一し、「日本国」としてまとめる迄の過程だ。この頃、世界では枢軸時代の思想が誕生していたが、日本には伝わっていない。日本にそれが伝来したのは、第二タームの始まりの時期に一致する。第二タームは、枢軸時代の思想の、日本における「土着化」の過程だ。この土着化の事を「和様化」という。聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という言葉から始まるこのタームは、まさに「和風」の時代。現代の私達が持つ「和風」のイメージは、ほとんどこの千二百年間に生まれた。仏教、儒教道教は大陸から主に百済を通じて伝わり、第二ターム前期の六百年(飛鳥~平安)に、知識人によって熱心に受容され、後期六百年(鎌倉~江戸)に庶民に浸透した。

ここで重要な書物に、『実語教』がある。平安末期に、何者かの知識人によって書かれたこの教訓書は、仏教の教えを基に、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを尊重すること、勉学に励むこと、親孝行し、年配者を労わること、他人の気持ちを思い遣ること等を説いている。驚くべきことに、実語教は約千年間、庶民の間で読み継がれた。日本人の価値観の基礎を作ったといって過言ではない。これ程重要な書物なのに、現在、この名を聞くことがあるだろうか?教育現場で登場しないどころか、関連する本も、ほとんど出版されていない。不思議でならない。もどかしさを感じた私は、今年、全文を現代語訳し、ブログに掲載した。(http://mondou.hateblo.jp/entry/2015/05/08/021102)さらに解説動画を作成し、Youtubeにアップロードした。(https://www.youtube.com/watch?v=9A8tIEM7w-A

第三タームに入ってすぐ、和風時代は終わりを迎える。仏教、儒教道教の教えに代わって、西洋由来の近代思想が持ち込まれた。生活様式も西洋化していく。教育においては、寺子屋が廃止され、学校が創られた。この時の「教育改革」は、日本人の価値観を大きく変えるものだった。それまで寺子屋では、「読み・書き・そろばん」を基礎に、それぞれの子どもの実生活に応じた「個別教育」を行っていた。農民の子には『百姓往来』、商人の子には『商売往来』が教科書として使われたように。それが、「学制」の施行により、教育は「全国一律」のものとなった。また寺子屋では、知識の習得だけではなく、精神的な面を育成する「道徳教育」が行われていたが、学校では、専ら知識習得が優先され、徳育はないがしろにされていった。先程説明した『実語教』は、寺子屋の教科書として定番だったが、寺子屋の廃止により、ほとんど読まれなくなった。かろうじて「教育勅語」が作られ、徳育の精神を繋いできたが、これも昭和二十三年に廃止され、ついに日本で「道徳教育」は、されなくなった。(私は小・中学生の時、「道徳」の授業で、道徳教育を受けた記憶がない)

江戸時代まで勉学は、「修身」と結びついていた。つまり、知識の習得と同時に、自己の精神を高め、気高く生きる作法を身に付ける事が勉学だった。それが明治以降、一律の教育体制の中で、勉学は、試験に合格して「立身出世」するための手段と化していった。この傾向は現代において、ますます加速している。子どもも親も、どの学校に入るか、どの会社に入るかということに神経を使い、「修身」などという言葉は日常生活で出てこない。私達は、江戸時代までの人々とは全く違った価値観の中にいる。

 

現代人はまた、「徳」という言葉も使わなくなった。古典を読むと、「徳を積む」「徳を修める」という表現がよく出てくるのに、今ではあまり使われない。言葉を使わないということは、その概念が頭の中に無いことに等しく、関心が無いという事だ。

意味の近い「モラル」という言葉は、たまに使われる。ただ、誤用が多いように思う。例えば、「タバコのポイ捨てをする人が昔は多かったが、最近は日本人のモラルが向上して、そういう人は少なくなった」という言い方を見かけるが、それはモラルではなくて単に「マナー」だ。モラルとは、その語源のラテン語に「習俗・慣習」の意味があるように、本来は、時間の流れを含んだ概念なのだ。それが、単に「マナー」の意味に誤用され、また、その「マナー」という言葉も、やかましく言われる。現代人は、「徳」や「モラル」を忘れ、「マナー」のことで頭がいっぱいになっている。

「マナー」とは、人間同士のコミュニケーションにおいて、相手に不快を与えない最低限の行動様式のことであって、少し気をつければ誰でもできる。対して、「モラル」は、過去から蓄積された共同体の価値観を指すのであって、一朝一夕には身に付かない。さらに、「徳」は、自己の生の有限性を悟り、「何が美しい生き方か」を問い詰めた先に持ち得る価値観や行いを指すのであって、より能動的で高度だ。

私は、形式的で単純な「マナー」に、あまり深入りする必要はないと思う。私達は、「マナー」の事などさっさと済ませて、「モラル」について良く知り、これを守り、さらに深遠な「徳」を高めることに時間を使おう。江戸時代までの人々は、それをやっていた。

モースの持っていた写真が私の胸を打つのは、そこに映っている人々の表情から滲み出る「モラル」や「徳」が、忘れかけていた何かを想起させるからかもしれない。

 

現代は、第三タームに入ってまだ初期だ。始まりから三世紀が経とうとしている頃で、あと千年近く残っている。第三タームをどういう時代にするか、方向性を決めるのは私達だ。

この時代は、「民主主義」「人権」といった概念を西洋から取り入れて始まり、現在も、社会の運営体制は、基本的にこれらの概念が軸になっている。私達はこの社会体制に慣れきってしまっており、しばらくはこのままの状態が続くだろう。ただ、体制に慣れているとはいえ、私達はまだ、これらの概念を「自分のもの」にできていない。

例えば、選挙の時期になると、候補者の名前を連呼するだけの車が町に溢れる。候補者のポリシーは一切語らず、名前を脳に刷り込ませて、投票用紙に書かせようとしている。このような、人間の無意識に訴える「洗脳的手法」が、政府容認のもと平然と行われている。また、マスコミは「選挙に行きましょう」と急き立てるばかりで、肝心の、候補者を選ぶための判断材料を伝えようとしない。結局、知識を持たないまま投票会場に来てしまった人は、脳に刷り込まれた名前をそのまま書いてしまう。これが本当に「民主主義」なのだろうか?

また「人権」について、個人の考えを主張する権利が守られているからといって、それを悪用する人がいる。政治活動といって、壊れたテープレコーダーのように同じことを繰り返し唱え、他人の意見を聞こうとしない。民主主義にとって重要な、熟議や熟考を無視している。「人権」を盾にしながら、やっていることはロボットのようであり、「人」を捨てている。

このように、「民主主義」や「人権」は、形骸化している部分がある。憲法に書いてあるから、法律で認められているからといって、本来の使い方ではない事に濫用されている。「書いてあること」が優先され、ルールで全てが決まっていくような、そんな単純な社会が本当に正解なのだろうか?

例えば、何かを主張する場合、昔の人の考え方に基づくなら、「他人様(ひとさま)」の気持ちに配慮して主張しなければならない。人は一人で生きているのではなく、周囲の人々にお世話になりながら生きている。そのような、自己と世間の有機的な関係をよく認識し、これを言ったら相手がどう思うか、それでも言った方がいいのか、という様に熟慮した上で何かを言わなければならない。このような考え方は、生きている中で身に付く「常識」であり、何かに書かれていない。しかし、書かれていないからといって、無視してよい訳ではない。

私達は、書かれていることだけを信じるような「法律至上主義」の社会を抜け出し、民主主義と人権に、「徳」と「モラル」を結び付けていこう。

 

仏教は、日本において独特の発展を遂げ、本来のそれが持つ合理性や簡素さが失われたともいえるが、良い捉え方をすれば、複雑になり、深みを増したとも言える。これと同じように、民主主義、人権主義も、いつまでも「本家」の教えに固執することはない。私達の心の奥に眠っている「徳」や「モラル」を蘇らせ、「和風」の民主主義を作り上げていこう。