江戸時代まで千年間読まれた道徳の教科書 実語教 全訳

日本人の価値観に深く関わっているとされる教訓書、「実語教」(じつごきょう)を紹介します。「実語教」は平安時代に作られ、約千年間にもわたって読み継がれてきました。特に江戸時代には寺子屋の教科書として使われました。

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動画

解説動画を作ってみました。 

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全訳

全96句の書き下し文と私なりの訳を記します。私は古典の専門家ではありませんので、間違いがあったらスミマセン。

 

山高(やまたか)きが故(ゆえ)に貴(たっと)からず

木(き)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす

山はただ高いから尊いのではない。

木が茂っているからこそ尊いのだ。

 

人(ひと)肥(こ)えたるが故(ゆえ)に貴(たっと)からず

智(ち)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす

人は裕福だから偉いのではない。

智恵を持つからこそ偉いのである。

 

富(とみ)は是(これ)一生(いっしょう)の財(ざい)

身滅(みめっ)すれば即(すなわ)ち共(とも)に滅(めっ)す

富というのは、生きている間だけ持てる物であり、

死んで体が消滅してしまえば、同時に失う。

 

智(ち)は是(これ)万代(ばんだい)の財(たから)

命(いのち)終(お)われば即(すなわ)ち随(したが)って行(ゆ)く

一方で、智恵は長い年月にわたって持続する宝である。

命が終わっても、ついてくる。

 

玉磨(たまみが)かざれば光(ひかり)無(な)し

光(ひかり)無(な)きを石(いし)瓦(かわら)とす

玉は磨かなければ光を発しない。

光らない玉は、ただの石の塊だ。

 

人(ひと)学(まな)ばざれば智(ち)なし

智(ち)なきを愚人(ぐにん)とす

人も学ばなければ智恵を持てない。

智恵のない人は、愚人だ。

 

倉(くら)の内(うち)の財(ざい)は朽(くち)ることあり

身(み)の内(うち)の才(さい)は朽(くち)ることなし

蔵の中にある財宝は朽ちてしまうことがあるが、

体の中にある智恵は、朽ちることがない。

 

千両(せんりょう)の金(こがね)を積(つ)むと雖(いえど)も

一日(いちにち)の学(がく)には如(し)かず

いくら大金を積んでも、

一日勉強したことの価値には及ばない。

 

兄弟(けいてい)常(つね)に合(あ)わず

慈悲(じひ)を兄弟(けいてい)とす

兄弟といつまでも一緒にいれるわけではないが、

慈悲の心はいつまでも持ち続けられる。

 

財物(ざいもつ)永(なが)く存(そん)せず

才(さい)智(ち)を財物(ざいもつ)とす

財物は長く存在しない。

智恵こそが大事だ。

 

四大(しだい)日々(ひび)におとろえ

心神(しんじん)夜々(やや)にくらし

身体を構成する地・水・火・風の四元素は日々衰え、

心も次第に暗くなっていく。

 

幼(いとけな)き時(とき)勤学(きんがく)せざれば

老(おい)て後(のち)恨(うら)み悔(く)ゆと雖(いえど)も

尚(なお)所(しょ)益(えき)あることなし

幼い時に勉強せず、

老いた後に悔やんでも、

何の得にもならない。

 

かるが故(ゆえ)に書(しょ)を読(よ)んで倦(う)むことなかれ

学(がく)文(もん)に怠(おこた)る時(とき)なかれ

だから本を読むことを嫌がってはいけない。

学問を怠ってはいけない。

 

眠(ねむり)を除(のぞ)いて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ

飢(うえ)を忍(しの)んで終日(ひねもす)習(なら)え

寝る間も惜しんで毎晩、本を音読せよ。

空腹を我慢して一日中勉強せよ。

 

師(し)に会(あ)うと雖(いえど)も学(まな)ばざれば

徒(いたづら)に市人(いちびと)に向(むか)うが如し

師に会っても、その人から学ばなければ、

無駄に一般人と会うのと同じだ。

 

習(ならい)読(よ)むと雖(いえど)も復(ふく)せざれば

只(ただ)隣(となり)の財(たから)を計(かぞう)るが如し

習読しても、何度も繰り返さなければ、

ただ、隣の家の財宝を数えるくらい無駄なことである。

 

君子(くんし)は智者(ちしゃ)を愛(あい)す

小人(しょうじん)は福人(ふくじん)を愛(あい)す

君子(立派な人)は智恵のある人を好み、

小人(つまらない人)は金持ちを好む。

 

富貴(ふうき)の家(いえ)に入(い)ると雖(いえど)も

財(ざい)なき人(ひと)のためには

なお霜(しも)の下(した)の花(はな)のごとし

金持ちの家に生まれたとしても、

その人に価値が備わっていなければ、

霜の下の花のように存在感がない。

 

貧賤(ひんせん)の門(もん)を出(い)づると雖(いえど)も

智(ち)ある人(ひと)のためには

あたかも泥中(でいちゅう)の蓮(はちす)の如(ごと)し

たとえ貧しい家に生まれたとしても、

智恵のある人は、

泥の中に咲く蓮のようだ。

 

父母(ふぼ)は天地(てんち)の如(ごと)し

師(し)君(くん)は日月(じつげつ)の如(ごと)し

父母は天と地であり、

師は太陽と月である。(自分より上の存在である)

 

親族(しんぞく)はたとえば葦(あし)の如(ごと)し

夫妻(ふさい)はなお瓦(かわら)の如(ごと)し

親族は葦のようであり、

夫婦は瓦のようだ。(自分と同列の存在である)

 

父母(ふぼ)には朝夕(ちょうせき)に孝(こう)せよ

師(し)君(くん)には昼夜(ちゅうや)に仕(つか)え

友(とも)に交(まじわ)って諍(あらそ)うことなかれ

父母には朝から晩まで孝行せよ。

師には一日中仕えよ。

友とは仲良くし、喧嘩するな。

 

己(おのれ)より兄(あに)には礼(れい)敬(けい)を尽(つく)せ

己(おのれ)より弟(おと)には愛顧(あいこ)をいたせ

自分より年長の者には礼儀正しく敬い、

自分より年下の者は可愛がれ。

 

人(ひと)として智(ち)なきは

木石(ぼくせき)に異(こと)ならず

智恵の持たない人は、

木や石と同じだ。

 

人(ひと)として孝(こう)なきは

畜生(ちくしょう)に異(こと)ならず

孝の心を持たない人は、

動物と同じだ。

 

三学(さんがく)の友(とも)に交(まじ)わらずんば

何(なん)ぞ七(しち)学(がく)の林(はやし)に遊(あそ)ばん

三学(戒学・定学・恵学)を学ばずに、

どうやって七覚を身につけられよう。

七覚支:仏道修行における7種の注意点(択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)

 

四等(しとう)の船(ふね)に乗(の)らずんば

誰(た)れか八苦(はっく)の海(うみ)をわたらん

四等(慈・悲・喜・捨)の船に乗らないで、

誰が八苦の海を渡れるだろうか。

八苦:生・老・病・死・愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦

 

八(はっ)正(しょう)の道(みち)は広しといえども

十(じゅう)悪(あく)の人はゆかず

八正道は広大な教えだけれども、

十悪を行う者にはできない。

八正道:仏道修行の基本となる8種の徳(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)

十悪 :してはいけない10種の悪行(貪欲・瞋恚・愚痴・綺語・両舌・悪口・妄語・殺生・偸盗・邪淫)

 

無為(むい)の都(みやこ)に楽(たの)しむと雖(いえど)も

放逸(ほういつ)の輩(ともがら)は遊(あそ)ばず

無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、

だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。

 

無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、

だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。

老いた人を父母のように敬い、

幼い人を子どもや弟妹のように愛せよ。

 

我(われ)、他人(たにん)を敬(うやま)えば

他人(たにん)、また我(われ)を敬(うやま)う

自分が他人を敬えば、

他人は自分を敬う。

 

己(おのれ)、人(ひと)の親(おや)を敬(うやま)えば

人(ひと)、亦(また)己(おのれ)が親(おや)を敬(うやま)う

自分が他人の親を敬えば、

他人は自分の親を敬う。

 

己(おのれ)が身(み)を達(たっ)せんと欲(ほっ)せば

先(ま)ず他人(たにん)を達(たっ)せしめよ

自分の身を良くしたければ、

まず他人を良くしてあげなさい。

 

他人(たにん)の愁(うれい)を見(み)ては

すなわち自(みずか)ら共(とも)に患(うれ)うべし

他人が悲しんでいるのを見たならば、

自分も一緒に悲しみなさい。

 

他人(たにん)の喜(よろこ)びを聞(き)いては

すなわち自(みづか)ら共(とも)によろこぶべし

他人が喜んでいる声を聞いたならば、

自分も一緒に喜びなさい。

 

善(ぜん)を見(み)ては速(すみや)かに行(ゆ)き

悪(あく)を見(み)てはたちまちに避(さ)れ

他人の善行を見たなら、自分もそれを速やかに行い、

他人の悪行を見たなら、自分はそれを行うな。

 

悪(あく)を好(この)む者(もの)は禍(わざわい)をまねく

たとえば響(ひびき)の音(おと)に応(おう)ずるが如(ごと)し

悪行を好んで行う者は不幸を招く。

それは、音が起これば響く、という関係と同じように当然のことだ。

 

善(ぜん)を修(しゅ)するものは福(ふく)を蒙(こう)むる

あたかも身(み)に影(かげ)の随うが如(ごと)し

善行を行う者は福を受ける。

それは、体にいつも影がついてくるようなものだ。

 

富(と)むといえども貧(まづ)しきを忘(わす)るることなかれ

或(あるい)は始(はじめ)に富(と)み終(おわ)りに貧(まづ)し

たとえ今が裕福であっても、貧しい時の気持ちを忘れてはいけない。

最初は裕福であっても、終わりに貧しくなることもある。

 

貴(たっと)しといえども賤(いや)しきを忘(わす)るることなかれ

或(あるい)は先(さき)に貴(たっと)く終(のち)に賤(いや)し

たとえ今が高貴な身分であっても、賤しい身分の気持ちを忘れてはいけない。

最初は高い身分であっても、終わりに賤しい身分になることもある。

 

夫(そ)れ習(なら)いがたく忘(わす)れやすきは

音声(おんじょう)の浮(ふ)才(さい)

習うのが難しく、忘れやすいのは、

音楽のような芸才。

 

また学(まな)び易(やす)く忘(わす)れがたきは

書(しょ)筆(ひつ)の博(はく)芸(げい)

学ぶのが容易で、忘れにくいのは、

読み書きの才能である。

 

但(ただ)し食(しょく)あれば法(ほう)あり

亦(また)身(み)あれば命(いのち)あり

食べるから存在できる。

身体があるから、命がある。

 

猶(な)お農業(のうぎょう)を忘(わす)れず

必(かなら)ず学(がく)文(もん)を廃(はい)することなかれ

農業を忘れず、かつ、

必ず学問をやめてはならない。

 

故(ゆえ)に末代(まつだい)の学者(がくしゃ)

先(ま)ずこの書(しょ)を案(あん)ずべし

後世の学問に励む者は、まず

この書(実語教)を読み、考えるべし。

 

是(こ)れ学問(がくもん)のはじめ

身(み)おわるまで忘失(ぼうしつ)することなかれ

この実語教は学問の出発点である。

死ぬまでここに書いていることを忘れるな。