日本史1200年区分法

仏教、儒教道教、それからギリシア哲学といった優れた思想は、地理的に離れた場所であるにも関わらず、ほぼ同時代に起こったとされる。カール・ヤスパースは、その時代を「枢軸時代」と呼んだ。

その頃、日本は縄文から弥生に移る頃で、やっと「社会」というものが出来てくる頃だった。「枢軸時代」の思想が日本に輸入されるまで、ここから1200年程の時間がかかる。

そういうことを考えていると、「日本史は1200年ごとに区切れるのではないか」という考えが頭に浮かんだ。試しに表を作ってみた。

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狩猟採集期

いわゆる縄文時代。身分の格差はなく皆平等で、ある意味、真に「平和」な時代。人々は自然の中に精霊(カミ)を見出して、祈りを捧げていた。

他の地域では既に、身分階層を前提とした都市国家が起こって何千年も経過していたというのに、日本はそうでなかった。おそらく、食物がもともと豊富であったことから、人間同士で争ったり、大規模な共同作業を行う動機が少なかったのだと思われる。

この、他の地域に比べての狩猟採集期の異常な長さが、日本文化を独特なものにしているのではないかと私は考える。

第一ターム(クニ期)

日本における「国」の始まりは、私達の持つ神話に書かれている通りに、皇紀元年とするのが妥当と考える。この時期に縄文から弥生に移り、身分階層や大規模な共同作業という「国」の要素が芽生え始めたからである。

ただしこの頃、日本列島には複数の国(クニ)があった。それが、戦闘や政治的協議を経て、一つの「日本国」へと集約されていったのである。その間まさに約1200年。

またこの時期、「国」の権威を確かなものにするために、「神話」が体系化されていった。それまでの単なる自然崇拝と違い、王の血筋を遡る形での「物語」が紡がれていった。この作業が完了するのが、皇紀1372年(西暦712年)の『古事記』、皇紀1380年(西暦720年)の『日本書紀』である。大体1200年間である。

第二ターム(中央集権国家期)

日本各地にあった国(クニ)が統一され、さらにその権威が「神話」によって確立したことをもって、国づくりは次の段階に進む。つまり、法や都市計画が整備され、より強力な「中央集権国家」が作られていった。

第一タームが、大陸からの「弥生人」によって駆動されたように、第二タームは「渡来人」によって駆動された。ここで、1200年前に発明された「枢軸時代の思想」がやっと我が国に入ってくる。仏教、儒教道教は、第二ターム前期(飛鳥・奈良・平安)に「受容」され、後期(鎌倉・室町・戦国・江戸)に庶民の生活レベルにまで「浸透」した。

を以て貴しとなす」という言葉から始まったこのタームにおいて、まさに現代の我々が「和風」と呼ぶ文化が生まれた。それは、狩猟採集期のアニミズムと、第一タームの皇祖礼崇拝をベースに、「枢軸時代の思想」である仏教、儒教道教ローカライズされ、熟成されていったものである。この「和風時代」が終わるのが皇紀2528年(西暦1868年)、江戸時代の終わりである。

第三ターム(国民国家期)

国づくりの次なる段階は、「欧米人」によって駆動された。

「民主主義」や「学校」という諸制度を受け入れて、私達の社会は、それまでの時代とは見た目も、中身も、大きく変わってしまった。

しかし、第三タームも他のタームと同じく1200年間と予想するならば、実は21世紀というのは、前期のさらに前半なのである。第二タームでいえば平安前期であり、外来思想の「受容期」である。

そう考えるならば、我々が民主主義の精神を我が物にするまでには、まだまだ500年くらい、さらにその制度を使いこなして用済みとするまでには1000年くらいの歳月がかかるのではないだろうか。

選挙カーでの候補者の名前連呼、揚げ足取りに終始する国会答弁等を見ていると、本当にそれくらいかかりそうである。