テレビを見ていると私と同じ名前の中国人が出てきて驚いた。気になってフェイスブックで自分の名前を検索してみると、日本人よりも中国、台湾の人が多く出てくる。日本では同名の人に会ったことはないが、現地では結構メジャーなのだろうか。

私の名は、家族が何日か議論した末、最終的に祖父が決めたそうだ。生まれたばかりの私に向けて祖父が込めた想いは、「正」「倫」という漢字二文字で表された。私と同じ名を持つ中国、台湾の人々の親族も、祖父と同じ想いでその名を子どもに贈ったのだろうか。東アジア文化圏――日本、中国、台湾で共通する名前。その意味を深く知りたいと思った。

 

「正倫」は「まさみち」と読む。「倫」を「のり」と読む人もいるが、私は「みち」だ。まずはこの「倫」の字について掘り下げてみる。

「倫」の字は、複数短冊がまるく巻かれて整理されている形を表す「侖」に人偏を付けたもので、原義としては「人間関係がきちんと整理されている様子」を意味する。つまり、「倫」の字は、人と人の間の「状態」を示す語であり、私の名の読みである「みち=道」のニュアンスは、もともとの意味に含まれていない。

一方、中日辞書で「倫」を引くと第一義に「人の道、五倫」とある。五倫とは孟子が提唱した五つの道徳上の「規範」(父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)のことで、孟子は、これを守ることによって社会の平穏が保たれると言った。

ここから考えられることは、「倫」の字はもともと「秩序ある人間関係」を意味するものであったが、いつの頃からか、それを維持するために順守すべき「規範」の意味が付随した。それと同時に、人が生きる上で踏み行うべき「筋道」としてのニュアンスが含まれるようになったのではないか。日本にこの漢字が持ち込まれた頃には既にそのニュアンスが定着しており、「みち」の読みが与えられたのだろう。

秩序ある人間関係、それを維持するために行うべき規範・筋道を意味する「倫」は、儒教色の強い漢字といえる。「正倫」の名が中国、台湾でポピュラーな理由は、それと関係しているのだろう。

 

ここまで「倫」の字について説明したが、その読みである「みち=道」について述べたい。中国の思想史において、「道」は常に主要概念であったが、それは儒教の説く「人として守るべき規範・筋道」の意味だけに限らない。中国思想史における「道」の意味はもっと豊かで複雑だ。それは、孔子の少し後に登場した老子が「道」の意味に大きな揺さぶりをかけたことに始まる。

老子の「道」は、それまでとはまったく違った新しい意味を帯びて登場した。それまでの儒家の道は、道義的な実践の拠り所として、はっきりと指し示された道であった。しかし、老子の「道」は、見えも聞こえもせず、恍惚としてとらえどころがなく、したがって名づけようもないものである。だから「道」というのも仮のよび名にすぎない。「無」とか「無名」とかよばれるのもそのためである。しかし、これこそが、この宇宙の全体をつらぬく唯一絶対の根源者として、大きなはたらきをとげている「一」であり、「大」である。そして、天地万物を生み出す始源としてまた「母」ともよばれている。老子にとって、これこそが真実の世界であった。世俗の現象世界にとらわれてはいけないというとき、老子はこの空々漠々たる無限定無制約の「道」の世界に入れといっているのである。」(金谷治『老子』、一九八八)老子は、儒家が重視した人間社会から一歩引いて、その外側から世界を眺めている。世界全体からすれば人間社会などちっぽけなものだ。この世に生まれた以上、従うべきは人間社会の原理ではなく、それを超えた「万物の原理」=「道」だと老子は主張した。道徳経上篇に「大道廃れて仁義有り」という言葉があるが、これは、本当の「道」の原理を人々が忘れた結果、世の中が乱れた状態になり、だからこそ仁とか義とかが、やかましく言われるようになったという意味だ。老子の思想は、徹底した儒家批判であり人間社会批判なのだ。

老子の言いたいことは「自然に帰れ」ということだ。人々が「大道」を忘れたのは、都市、文明を発展させ、制度の中に閉じこもり、その中での利害関係に夢中になっているからだ。文明の中で人々はさかしらな知識を身に付け、様々な欲望を増幅させた結果、逆に不幸な状態に陥っている。だから我々は知識や欲望を捨て自然に帰り、本来の状態に戻らねばならない。十八世紀にルソーが同じようなことを言ったが、老子は紀元前に既に言っている。

前章で述べたように、動物が欲にとらわれた存在だとする見方は間違っている。「欲にとらわれた動物」と「理性を持つ人間」の対比で物事を説明しようとする人がいるが、前提がおかしい。動物は欲を持たない。動物は体内のバロメーターと外部刺激の条件によって適度に行動しているだけだ。人間こそが欲の生き物だ。人間は都市の中で「名」を持ち、「自己」を特別視してその利害にこだわるあまりに、過剰な「欲」にとらわれてしまっている。

 

下篇に小国寡民章とよばれる章があり、そこで老子は、小さな共同体の中で、人々が文字を持たず、自分の食べているもの、着ているものに満足しているような、理想の農村生活を謳いあげている。

しかし老子は、現実に文明を破壊し、全てを農村の生活に戻そうと本気で考えていたのだろうか?これには疑問の余地がある。なぜなら、他の章でそのような主張は明言されていないし、むしろ「大国を治むるは・・・」と、国家の統治論を述べたりまでしている。そもそも伝記によると、老子周王朝の王宮法廷で記録保管役として働いていたという。知識を捨てて自然に帰れと言っている人が、実際は知識労働ど真ん中に従事していたのだ。

以上のことから、老子の主張する「自然に帰れ」の思想は、あくまで「理想論」だと私は考える。実際のところ人類はもう自然には戻れない。社会の中で生きていくしかない。しかし、それならばせめて「夢中になりすぎるなよ」と、老子は言いたいのだと私は考える。老子が生きたのは乱世の春秋時代だが、人々が自己の利益に夢中になり、それを求めて武力を振りかざす様は、まさに文明の自家中毒だ。このような結果にならぬよう、自然にもとづいた生活を「理想」として常に思い出し、静かな心でゆったりと社会生活を営んでいこうという提案なのだと私は考える。

 

私は「正倫」という「名」を社会の中で使い、周囲の人々と協力して生きていく。秩序ある人間関係を表す「倫」の字が、私の人生におけるコインの表側だ。それならば、その裏側に「道」の字がある。私は人間社会だけを生きていない。ちっぽけで単純な人間社会の外側に、広大で複雑な自然がある。人間社会を生きる以前に、この不可思議な宇宙に私が「存在」しているというセンス・オブ・ワンダー(驚きの念)がある。