センス・オブ・ワンダー

十月六日、スウェーデン王立科学アカデミーは、東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授とカナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授にノーベル物理学賞を授与すると発表した。素粒子ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動を発見したことが受賞の理由だ。

二年前、私は本屋で見かけた新刊のブルーバックス、村山斉著『宇宙になぜ我々が存在するのか』をタイトルに魅かれて買った。読み始めると内容に引き込まれ、二日程で読了してしまった。この本の第三章に、ニュートリノ振動が解説されてある。

梶田氏を含む日本のグループがニュートリノに質量があることを発表したのは一九九八年、岐阜県高山市で開かれたニュートリノ・宇宙物理国際会議においてである。岐阜県神岡鉱山につくられた装置スーパーカミオカンデで大気中にできる大気ニュートリノを観察した結果、日本上空で発生した電子ニュートリノと、南半球で発生し地球を通り抜けて届いた電子ニュートリノの数は同じくらいであったにも関わらず、第二世代のミューニュートリノを調べてみると、南半球からくるものが上空で発生するものの半分しかなかったのだ。この実験結果から、地球の反対側で生まれたミューニュートリノは、地球を通り抜けている間に、タウニュートリノに変わって、再びミューニュートリノに戻るという「ニュートリノ振動」を繰り返している可能性が高まった。

それまでの標準理論では、ニュートリノの重さは完全にゼロであり、ニュートリノは光速で飛ぶことができるので、時間を感じないはずだとされていた。ところがスーパーカミオカンデの実験は、南半球からくるミューニュートリノはタウミュートリノに変化するほどの時間を感じていることを示している。時間を感じるということは、ニュートリノは光の速さより遅く動いているということになり、光の速さより遅いということは、粒子に重さがあるということだ。

ノーベル賞授賞を伝える紙面では、「宇宙の成り立ちや物質の起源の解明へ道を開く成果と高く評価された」(読売新聞、十月六日)とある。これはどういう意味か、村山氏の本の第五章を読むとよくわかる。

あらゆる物質には必ずそれに対応する反物質があり、物質と反物質が出合うとものすごいエネルギーを出して消滅してしまう。宇宙がうまれたばかりの頃、たくさんの物質と反物質が存在していた。物質と反物質はいつもペアで生まれるので、その割合は一対一だったと考えられる。ということは、宇宙が膨張して冷えてきた時に、物質と反物質が再び出合い、一対一で消滅してしまうので、最終的に何も残らず、宇宙は空っぽになってしまうはずだ。ところが、宇宙は空っぽにならずに、私達は存在している。この問題の鍵を握っているのがニュートリノだ。ふつうの粒子は電気的性質によって物質と反物質が区別されるが、ニュートリノは電気がなく、進行方向に対する回転の向きだけで区別される。この性質によって、反ニュートリノニュートリノに入れ替わり、反ニュートリノと物質のニュートリノの数のバランスが崩れる。物質と反物質の数がずれて少しだけ物質が残り、その残った物質が星や銀河をつくり、私達になったという訳だ。

 

村山氏の本を読み終えた後、私はしばらく余韻に浸った。私達の存在理由をめぐるこの壮大な物語は、自然の観察と検証の積み重ねに基づいている。このような自然科学の手法によって、宇宙や物質といった根源的な事象が説明され、それに納得できる時、私は、これまで見てきた世界がひっくり返るような驚きと感動、日常生活から浮遊するような不思議な感覚と高揚感に満たされる。生きていて時に出合うこの感覚を、私は「センス・オブ・ワンダー」と呼んで大切にしている。

私が初めてセンス・オブ・ワンダーを体験したのは小学生の頃だ。クリスマスの日の朝、枕元にあったプレゼントの包装紙を破くと中には『二十一世紀こども地図館』(小学館、一九九二)があった。この図鑑は、現在の日本・世界の地図が載っているだけでなく、超大陸パンゲアの項からはじまり、長い時間の中でどのように地形が変化したかといった事も解説している。また、「さらに未知の世界へ」という章があり、そこでは宇宙誕生以来の膨張プロセスと、現在の宇宙の大規模構造が解説されている。図が四つあり、一つ目の図で「約百五十億年前、点のようだった宇宙が大爆発を始める。ひじょうに高い温度だった。」とある。二つ目、「誕生から約十万年後、高温のために物質はばらばらだった。この後温度が下がり、宇宙はすき通っていった。」三つめ、「約十億年後、物質が集まりはじめ、最初の星ぼしが誕生する。クエーサーと呼ばれるこの星は、はげしく活動していた。」四つ目、「約三十億年後に銀河が誕生しはじめる。泡の一部を拡大すると、銀河がたくさん集まっているのがわかる。」図の一部が拡大され、その中に様々な形の銀河がひしめき合っている。その下に「私たちの銀河系」という図があり、渦巻きの片隅に太陽系の位置が示されている。この項を読んだ時、私は驚きと同時に底知れぬ不安を感じた。こんなにも広大な空間の中で、我々人類は寄る辺なく、寂しく存在しているのだ・・・。

もうひとつ、印象的なセンス・オブ・ワンダー体験がある。小学生の頃、近所の友人と兄弟姉妹、母親達で時々、健康のために夜に散歩していた。母親達がおしゃべりをしながらゆっくり歩いているのに退屈して、私と友人は、よく全力で走って速さを競っていた。ある時、走り疲れた私達はアスファルトの上に大の字で倒れ夜空を見上げた。私の故郷は、夜は虫の音がうるさいくらいで、車の音や人の声はほとんどしない。それから高い建物がなく、人工の明かりも少ないので、月や星がはっきりと見える。空を見つめること十数秒間、ちょうど視界に家や街灯が入らず、宇宙だけが、目の前に広がっていた。その時だった。私は背中にあたる地面の感覚を忘れ、まるで宇宙空間を漂っているような錯覚に襲われた。周囲の人の気配が消え、一人で宇宙に投げ出されているようで怖かった。その時に、自分という存在は確かに、宇宙空間の中にあるということを、身をもって実感した。

以上のような体験が関係しているのか、私は少年時代、この世界に対する畏怖の念を強く持っていた。日常生活のあいまにふと、宇宙の広さのことや、天文学的な時間の流れを考えることがあり、頭の中が混乱するようだった。その時だけ本当に孤独だった。

 

私の孤独を受け止めたのは、戦後に活躍したSF作家達だった。手塚治虫の『火の鳥』、藤子・F・不二雄のSF短編シリーズ、中学生の頃は図書室にある星新一の本を全て読んだ。これらの作家の本を読むと、混乱していた頭の中が、物語の型に助けられながら、新しい言葉や概念を取り込み、少しずつ耕されるようだった。

考えてみると、現在の宇宙観というものは、本当に近年になってできたものだ。一九二九年にエドウィン・ハッブルが宇宙の膨張を主張、これを基に一九四八年、ジョージ・ガモフがビッグバン理論を発表、その後、インフレーション理論や宇宙の大規模構造が提唱されたのは一九八〇年代になってのことだ。これら一連の理論が展開される以前は、宇宙に始まりがあるなど考えられていなかったし、現在考えられているような宇宙の大きさは、想像が及ばなかった。そう考えると、戦後日本のSF作家達は当時最先端の科学的知見を即座に物語の中に組み込んでいたのだと感心する。

二十一世紀を生きる私達は、祖父母以前の世代と共有し得ない世界観に直面している。ニュートリノのような素粒子の仕組みが解明され、宇宙の起源に関する事柄もどんどん明らかになっていく。その時、宇宙のあまりに現実離れした運動、人類のことなど気にも留めないような振る舞いに、私達はますます虚無や恐怖を感じないだろうか。戦後のSF作家達はそれを物語の形に昇華させたが、私達も同じように物語を作れるだろうか。科学のスピードに、文化や宗教は追いつけるのだろうか・・・。

 

センス・オブ・ワンダーという言葉を軸に、世界の不思議と対峙してきた私の過去を語ってきたが、ここまで述べてきた不思議さとは、主に「世界の存在の仕方」に関するものだ。具体的にいうと、どのような経緯で今の世界(宇宙)ができたのか、そして今、世界(宇宙)はどのような形をしているのか、といったことへの不思議さである。

一方で、私にはもっと根本的に不思議さを感じることがある。それは、「そもそもなぜ世界が存在しているのか」ということだ。休日の朝、仰向けに寝転がって薄明るい天井を眺めていると、リラックスした心の状態になり、ふと「存在する」ということそのものに意識が向けられる。そして思索が始まる。なぜ世界は存在してしまっているのだろう。なぜ「存在」なのか。なぜ「無」ではないのか・・・。

哲学の分野では、実体を否定する立場がある。この世界は力や運動だけがあるのに、人間が目に見えるものに名前を付けて、あたかも何かがあると思い込んでいるだけだとする立場である。仮にそれが真理だとして、それではなぜ力や運動があるのだろう。なぜ何かが動いてしまっていて、無ではないのだろう・・・。

「なぜ無ではなく、何かがあるのか」という命題は、哲学史上、長く議論されており、十七世紀にライプニッツが定式化したとされる。この問いを「解決不能な愚問」と責める哲学者もいたようだが、私は、解決不能でも、この問いを持って生きる姿勢を大切にしていきたい。というよりも、このような問いを立て、不思議な気持ちになる時にやっと私は、生きていると実感できるのだ。