自己承認欲求

私が大学を卒業する時に提出した論文のタイトルは、『進化論的アプローチによる自己意識の起源に関する考究』である。「進化心理学」の説を支持しながら、人間の自己意識の成立過程を考察した。「進化心理学」とは、生物の諸器官の成り立ちが、個体と環境の相互作用という「進化」の概念によって説明できるのと同様に、人間が持つ心の機能も、進化のメカニズムによって説明し得るという考え方だ。

なぜそんな卒論を書いたのか?私は、自己意識という心の機能こそが、自分がこの世に存在しているという事をありありと感じるための、重要な基盤だと考えることが度々あり、それについて深く知りたいと思ったからだ。

たとえば深い眠りについた時、自己意識は停止する。寝ている間に時間の経過を感じることができないのは、意識が停止しているからだ。もし私が何らかの事故によりずっと深い眠りに入ったら、私の身体はそこにあるが、それは私が存在しているといえるだろうか。他人はまるでそこに私がいるかのように認識するかもしれないが、私にとって、私はもういない。そこには「物」があるだけで、私はいないのだ。同様に、アルコールを飲んで酩酊状態になった時、自己意識は停止するか非常に弱くなる。酩酊状態の私が取る行動は他人から見たら私の行動だが、私にとっては私の行動ではない。なぜなら酩酊状態の私は、自分の行動を記憶したり、判断したりしていないからだ。つまり、そこには「動く物」があるだけで、私はいない。そこに私は生きていない。

「私」がこの世で生きているといえるのは、自己意識が機能しているからこそだと考える。自分が何者であるかを客観的に認識したり、過去・現在・未来の時間軸の中で自分の置かれている状態を見つめたり、次の行動を判断したりすることが、自分がこの世に存在するという実感につながっていると私は考える。

この「存在実感の基盤」である自己意識は、ある日突然人類に与えられたものではない。自己意識が地球上に誕生するまでには、それなりの経緯があったはずだ。それを自然科学的手法で考察し、納得したかったのだ。

先行研究は心理学者ニコラス・ハンフリーの霊長類の研究だ(The Inner Eye, 1986)。ハンフリーは野生のゴリラを観察し、その行動が飼育されているゴリラと比べて知的に劣ることを発見した。彼は最初そのことを不思議に思ったが調査を進めるうちに、飼育されているゴリラは野生のゴリラに比べ「社会的な問題」に頭脳を使っていることに注目した。たとえば、誰が誰を毛繕いするかとか、誰が一番いい寝場所で眠るかといったことに彼らは絶えず気を遣っている。そして、このような社会的な技術の発達が、人類の祖先の知能を進化させたのではないかと考えた。周囲の個体と自分をうまく関係づけることのできた者が生き残り、それができない者は絶滅した。このような長い淘汰の歴史の中で、人類の脳と心はゆっくりと形づくられてきたという訳だ。

もう一つの先行研究はウルリック・ナイサーの提唱した「自己の五段階モデル」だ(Five Kind of Self-knowledge,1988)。ナイサーは発達心理学の立場から「自己」を五段階に質的に区分した(生態的自己・対人的自己・時間的拡大自己・私的自己・概念的自己)。たとえば、「生態的自己」とは、物理的環境の知覚にもとづく自己であり、この自己によって個体は環境における自分の位置を把握することができる。一方、「概念的自己」とは、国籍、親族関係、職業、得意なこと、苦手なこと等の要素によって他人から区別できる自分自身の特徴のことだ。このように、「自己」といっても様々な事象を指す言葉なのだが、それを幼児の成長過程に合わせて五段階に分類・整理したところにナイサーの研究の意義がある。

私はハンフリーの進化心理学の考え方を支持しながら、ナイサーの五段階モデルを応用し、自己意識の進化を段階的にとらえる視点を採用した。ナイサーは一人の人間の成長過程からモデルを定義したが、このモデルは進化の過程にも使えると私は考えた。ギアリー、デネットトマセロ、プレマック、ミズン、アイエロ、ダンバーらの文献を参照しながら、進化のそれぞれの段階で人類がどのような認知能力を獲得したかを考察し、最後に、現生人類の持つ自己意識とはこれらの認知能力によって構成される複合体であるという仮説を立てて論文を締めくくった。

 

卒論を書きながら、自己意識というのは本当に人類に特有のもので、他の動物は持っているかどうか疑わしいということを改めて思った。犬や猫を飼っている人には申し訳ないが、彼らが意志のある行動を取っているかのように振る舞う時も、おそらくそこには私達が思う程の自己意識は、実際には存在していない。人間は名を名乗れるし、自分の身分を理解できるし、また、過去に取った行動を想起し、未来において自分がどうなるかシミュレーションすることもできる。一方、犬や猫がそれと同じことができているかというと、そうは思えない。

進化の「なりゆき」で偶然にも自己意識を獲得してしまった人類。そのおかげで、私達は自分という存在が世界に生きていることをはっきりと実感できる。一方、このことは不幸の始まりともいえる。自分という個体を客観的に認識できるから、それを意識的に大切に扱う。自分と他人の差異がわかるから、その存在の比類なさを感じ、愛おしく思う。そして様々な欲が生まれる。さらに自分が不利な立場にいるとわかると心理的な支障をきたす・・・。犬や猫は人類程の自己意識を持っていないから、このような欲や執着、複雑な葛藤は見られない。その行動はすっきりしている。

アブラハム・マズローは人間の欲求を、生理的欲求・安全の欲求・社会的欲求・承認の欲求・自己実現の欲求の五段階に理論化した(図1)が、私はこのモデルとは違う見方を持っている。

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以下は卒論の話とは別で比較的最近思いついたことだが、まず人間の食欲や性欲は動物の本能と違う。動物が食物を得るために動いたり、配偶者に近づいたりする行動は、脳に刷り込まれた行動で、いわば「反応」に近い。それは体内のバロメーターや外界の刺激が特定の条件を満たした時に自動的に発現する。それに対し人間の欲はもっと意識的だ。欲する対象を意識している。対象を意識するから、それを手に入れることが目的化し、手に入れること自体が快感になったりする。動物は行動の結果、体内のバロメーターが基準値に戻ればそれ以上の行動はしないのに対し、人間は対象を得ること自体にこだわり、得たいという気持ちを際限なく増幅させ、体内のバロメーター周期を逸脱して過剰に行動する。精神分析学者の岸田秀は「人間は本能が壊れて幻想の中に住む動物である」と言ったが、言い得て妙だ。食や性に関わる欲を動物の本能と同次元に扱う議論がよく見られるが、欲という心の働きは、動物の本能より高次で複雑だと私は考える。

人間の持つ「自己承認欲求」というものも食欲や性欲と同列だ。食欲や性欲が、対象を得ること自体に快を感じて、際限なく過剰にそれを求めるのと同じように、自己承認欲求とは、自分が人から認められたり、尊敬されたりする状況に快を感じて、それを目的として過剰な行動を取ることだ。

以上の私の考えをまとめると図2のようになる。まず無意識的な「本能」と意識的な「欲」を別物として区別する。その上で、食欲、性欲、自己承認欲求といった各種の欲は、どれが低次でどれが高次といったことはなく同列に並んでおり、時期・場面によって、それぞれ強くなったり、弱くなったりを繰り返している。また、食欲が異常に強い人がいる等、欲には個人差があることも付け加えておく。

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自己承認欲求について考える。それは、自分が集団から価値のある存在と認められることを求める欲求だが、認められるための「手段」は様々だ。すぐに思いつくだけでも三つある。一つ目は「地位」。社会の中で立派とされる職業に就いたり、豊かな経済状態になったりすることで、人から称賛を得ようとするものだ。二つ目は「容姿」。自分の顔や体に自信があり、それを人に見せることで注目を集めようとするものだ。そして三つ目に「センス」があると私は考える。ものの考え方や表現が、何か他の人と違うと感じた時に、その人のことを「センスがある」と言う。学者や芸術家に限らず、スポーツ選手やビジネスパーソンにおいても、何か人とは違うことをやってやろうという気概のある人がいる。そういう人達は、センスによって自分の存在を確立したいのだと思う。

私はセンスで勝負する人達の知的な取り組みを見ると感動する。よく練られたもの、複雑なもの、驚きがあるもの・・・。そういうものに触れると、私も何か作りたいと思う。いつか私の肉体は滅び無になる。どうせ無になるなら、生きているうちに何か複雑で変なことをして去っていきたい。「私が存在した証」を何らかの形で残したい。未来人が見たら、何でこんな変なものを作ったのだと理解に苦しむくらいのものを残したい。そういう意味で、私は強い自己承認欲求にとらわれている。

小学校の卒業式にて、証書を受け取る時に自分の将来の夢をひとこと言うことになったのだが、私は、「発明家になって、世の中の役に立つものを作ります」と言った。この気持ちは今でも変わらない。私は、人に驚きを与える発明家になりたい。

無常

今年は日本航空一二三便墜落事故から三十年目である。事故のことを調べていると、生存者の証言記録を見つけた。以下、日本航空アシストパーサーの落合由美さんの証言を引用。「そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。怖いです。怖かったです。思いださせないでください、もう。思いだしたくない恐怖です。お客様はもう声もでなかった。私も、これはもう死ぬ、と思った。まっすぐ落ちていきました。振動はありません。窓なんか、とても見る余裕はありません。いつぶつかるかわからない。安全姿勢をとりつづけるしかけるしかない。汗をかいたかどうかも思いだせません。座席下の荷物が飛んだりしたかどうか、わかりません。体全体がかたく緊張して、きっと目をつむっていたんだと思います。」(吉岡忍『墜落の夏』、一九八九)私は、ここに記されている情景をありありと思い浮かべながら、極限状態の人の心理を噛みしめた。そして、私の心の中の、ある感情を確かめた。私は日常生活において、心の半分で常に自分の死を気にしている。人生はいつだって、不慮の事故による死と隣り合わせだということを意識している。上記の落合さんの証言や、平成十七年の福知山線脱線事故の生存者の証言が、私の心を動揺させる。怖いけれども、それでも気になって読んでしまう。東日本大震災の時は、地震発生から約一カ月間、現地の人々が撮影した津波襲来動画を恐怖に耐えながらずっと見ていた。

 

私は人生でこれまで、つらくて死にたいと思ったことが無い。むしろ逆で、死にたくない、という感情が強すぎて、いつか訪れる自分の死を考えると、ひどく憂鬱になってしまう。死ぬ時の痛みが嫌なのではない。そういった恐怖はたかが知れている。私の悩みは、もっと解決不可能で、どうしようもない。それはすなわち、死ぬと自分という存在が消え「無」になるということ。そして死後、自分のいない世界が永遠に続いていくということ。このことを深く考えると、不安が胸に押し寄せてきて、時に動悸や発汗の症状が現れる。入浴中や就寝前に起こりやすいのだが、ウワーッと叫びたくなる。誰かに頼りたくなる。初めて発症したのは小学生の頃だ。

五年くらい前に、私はこの症状を「タナトフォビア」と呼べるのではないかと気づいた。タナトフォビアとは、「死恐怖症」と訳される既存の言葉だが、正式な病名ではなく、明確な定義は無い。ただ、この単語を使ってネット上を検索すると、自分と同じ症状の人々を見つけられた。特にQ&A形式の情報共有サイトにおいて。質問者が訴える死に対する恐怖心、およびそれに付随して起こる症状は、まるで自分かと思うくらい全く共感できるものだった。しかし同時に驚いたのは、質問に対する回答が、どれも見事に的外れだったのだ。質問者の訴える苦痛を、回答者は理解できていないようだった。

気持ちの分り合える人同士で共感のコミュニケーションを取りたいと思い、四年前にツイッターで「死ぬのが怖い」というアカウントを作った。十代、二十代の若者が時々新規にフォローしてくれる。彼らと何回か言葉も交わした。「死を思うとパニックになって、もう耐えられない。周囲に相談しても誰も理解してくれない」という悲痛なコメントが寄せられた。私もそうだった。誰も、何も、頼るものがなかった。人が生きている以上、必ず直面する悩みなのに、それを受容する機構をこの社会は用意していない。このことがずっと不思議だった。私はかつて、この恐怖症は誰もが時々患うものだと思っていたが、そうではないらしい。分からない人には分からない。というよりも、分からない方が多数派なのだ。考えてみれば、ネット以外でこの恐怖について語る人を見たことがない。また、この症状は心身に相当危機的な状態をもたらすものなのに、心理学でまともに研究されていない。心理学は、「死にたい」と訴える人に対して同情的で、それらの人々へのカウンセリング技術を高度に発展させてきたにもかかわらず、「死にたくない」と願い苦しむ人に対しては、あまりに無理解で無関心なのだ。

 

そんな私が、ここ三年間ほど症状に悩まされずに生活している。はっきりとした理由は分からない。歳をとって神経が鈍感になったのだろうか。冒頭で述べたように、日常生活の中で常に死は意識している。しかし、死への「拒絶反応」は、確かに和らいでいる。関係していると思うのは、三年くらい前から、仏教と日本文化の本をよく読むようになったことだ。

ガウタマ・シッダールタの生涯について解説した本を読んだ時、彼の出家の動機にはタナトフォビアに近いものがあったのではないかと直感した。ガウタマはシャカ族の王子として生まれ、宮殿の中で何不自由ない暮らしを送っていた。十六歳で結婚し、子どもも授かっている。おそらく人生について前向きな気持ちを持っていただろう。それがある時、王城の東門から外に出ると老人と出会い、南門から出ると病人に出会い、西門から出ると死者に出会った。この出遊の故事が、ガウタマの出家に至るきっかけを示しているという。満たされた生活を送っていた彼にとって、その人生がいつまでも続かず、いつかは惨めに終わりを迎えるという事実は、大きなショックだったのだろう。タナトフォビアの人とのやり取りで分かったことだが、彼らの多くは生活自体に大きな問題を抱えていない。私もそうだが、自分の人生に対する満足度は高い。そんな豊かな人生だからこそ、それがあっけなく終わってしまうことが耐え難いのだ。この苦痛は、ガウタマが出遊の時に感じた苦痛と同じではないか。そう考えてからは、仏教が自分にとって身近なものになった。

色々と本を読み進めるうちに、仏教の日本文化への影響を深く知るようになり、特に「諸行無常」の概念が、日本文化の根底に流れているということを改めて理解した。そうだった。我が国には「無常」の伝統があるではないか。

源氏物語平家物語方丈記徒然草・・・。日本文学は昔から無常をテーマにしてきた。自分という存在が儚く消えること、それはどうしようもないということの憂いを、先人達は繰り返し表現してきたのだ。特筆すべきは、いろは歌である。四十七文字の仮名を一回ずつ使い、意味の通る七五調の歌にしたものであるが、その内容は、仏教経典『涅槃経』の中の「諸行無常、是生滅法、生滅々已、寂滅為楽」の意訳にもなっている。平安中期につくられたこの「無常歌」を、国民全員で千年近く唱え続けてきたということなのだから凄い。評論家の唐木順三いわく、「無常を語る場合、きわだって雄弁になり、それを書く場合、特に美文調になるという傾向がきわめて顕著であるということが、日本人のひとつの特色といってよいだろう。(中略)日本人は無常を、無常世界観、無常観として考える以前に、無常感としてまず共感し、その共感を、仏教の語彙をかりて表現するというそういう傾向が著しい。」(『無常』、一九六五)文学だけでない。絵画や彫刻、舞踊においても、日本人が表現してきたのはいつも無常だった。例を挙げるときりがない。

自分という存在がいつか消えるということを憂い、その気持ちを誰かと共感するというのは、いわば諦めと、慰め合いであり、何らかの解決策を導くものではない。しかし、「共感」、このことだけで私は救われる。多くの先人達が私と同じことを考え、悩んできたということがわかると、自分は一人ではないと安心できる。しかも先人達は、その悩みと真剣に向き合い、美の形に昇華させていった。その営為に私は大変慰められる。

近代、西洋の文化が流れてきても無常の系譜は途切れることはなかった。近代的個人主義を説いた夏目漱石も、晩年には「則天去私」という東洋風の概念に戻ってきた。森鴎外も「諦念」という言葉を残した。戦後、アメリカの文化が流れてきても、たとえば小松左京はSF小説の中に無常感を織り込んでみせ『果しなき流れの果に』という傑作を生みだした。手塚治虫もマンガという新しい形式において無常を表現した(『火の鳥』)。

 

ドイツの精神科医エリザベス・キューブラー・ロスはその著『死ぬ瞬間』にて、末期患者が死を受け入れるまでの心理プロセスを「否認・隔離」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の五段階に分けた。これを参考に、死を自覚した人間がそれを受け入れるまでの段階を、人生という長い時間軸において定義するならば、先ず死に対する「混乱」があり、次に「苦悶」、そして「共感」「癒し」、最後に「諦め」に至る、と私は考える。私は今、先人達が残した知的営為に癒されている途中なのだ。人生は癒しの旅だと思って、何とかやっている。

センス・オブ・ワンダー

十月六日、スウェーデン王立科学アカデミーは、東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授とカナダ・クイーンズ大のアーサー・マクドナルド名誉教授にノーベル物理学賞を授与すると発表した。素粒子ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動を発見したことが受賞の理由だ。

二年前、私は本屋で見かけた新刊のブルーバックス、村山斉著『宇宙になぜ我々が存在するのか』をタイトルに魅かれて買った。読み始めると内容に引き込まれ、二日程で読了してしまった。この本の第三章に、ニュートリノ振動が解説されてある。

梶田氏を含む日本のグループがニュートリノに質量があることを発表したのは一九九八年、岐阜県高山市で開かれたニュートリノ・宇宙物理国際会議においてである。岐阜県神岡鉱山につくられた装置スーパーカミオカンデで大気中にできる大気ニュートリノを観察した結果、日本上空で発生した電子ニュートリノと、南半球で発生し地球を通り抜けて届いた電子ニュートリノの数は同じくらいであったにも関わらず、第二世代のミューニュートリノを調べてみると、南半球からくるものが上空で発生するものの半分しかなかったのだ。この実験結果から、地球の反対側で生まれたミューニュートリノは、地球を通り抜けている間に、タウニュートリノに変わって、再びミューニュートリノに戻るという「ニュートリノ振動」を繰り返している可能性が高まった。

それまでの標準理論では、ニュートリノの重さは完全にゼロであり、ニュートリノは光速で飛ぶことができるので、時間を感じないはずだとされていた。ところがスーパーカミオカンデの実験は、南半球からくるミューニュートリノはタウミュートリノに変化するほどの時間を感じていることを示している。時間を感じるということは、ニュートリノは光の速さより遅く動いているということになり、光の速さより遅いということは、粒子に重さがあるということだ。

ノーベル賞授賞を伝える紙面では、「宇宙の成り立ちや物質の起源の解明へ道を開く成果と高く評価された」(読売新聞、十月六日)とある。これはどういう意味か、村山氏の本の第五章を読むとよくわかる。

あらゆる物質には必ずそれに対応する反物質があり、物質と反物質が出合うとものすごいエネルギーを出して消滅してしまう。宇宙がうまれたばかりの頃、たくさんの物質と反物質が存在していた。物質と反物質はいつもペアで生まれるので、その割合は一対一だったと考えられる。ということは、宇宙が膨張して冷えてきた時に、物質と反物質が再び出合い、一対一で消滅してしまうので、最終的に何も残らず、宇宙は空っぽになってしまうはずだ。ところが、宇宙は空っぽにならずに、私達は存在している。この問題の鍵を握っているのがニュートリノだ。ふつうの粒子は電気的性質によって物質と反物質が区別されるが、ニュートリノは電気がなく、進行方向に対する回転の向きだけで区別される。この性質によって、反ニュートリノニュートリノに入れ替わり、反ニュートリノと物質のニュートリノの数のバランスが崩れる。物質と反物質の数がずれて少しだけ物質が残り、その残った物質が星や銀河をつくり、私達になったという訳だ。

 

村山氏の本を読み終えた後、私はしばらく余韻に浸った。私達の存在理由をめぐるこの壮大な物語は、自然の観察と検証の積み重ねに基づいている。このような自然科学の手法によって、宇宙や物質といった根源的な事象が説明され、それに納得できる時、私は、これまで見てきた世界がひっくり返るような驚きと感動、日常生活から浮遊するような不思議な感覚と高揚感に満たされる。生きていて時に出合うこの感覚を、私は「センス・オブ・ワンダー」と呼んで大切にしている。

私が初めてセンス・オブ・ワンダーを体験したのは小学生の頃だ。クリスマスの日の朝、枕元にあったプレゼントの包装紙を破くと中には『二十一世紀こども地図館』(小学館、一九九二)があった。この図鑑は、現在の日本・世界の地図が載っているだけでなく、超大陸パンゲアの項からはじまり、長い時間の中でどのように地形が変化したかといった事も解説している。また、「さらに未知の世界へ」という章があり、そこでは宇宙誕生以来の膨張プロセスと、現在の宇宙の大規模構造が解説されている。図が四つあり、一つ目の図で「約百五十億年前、点のようだった宇宙が大爆発を始める。ひじょうに高い温度だった。」とある。二つ目、「誕生から約十万年後、高温のために物質はばらばらだった。この後温度が下がり、宇宙はすき通っていった。」三つめ、「約十億年後、物質が集まりはじめ、最初の星ぼしが誕生する。クエーサーと呼ばれるこの星は、はげしく活動していた。」四つ目、「約三十億年後に銀河が誕生しはじめる。泡の一部を拡大すると、銀河がたくさん集まっているのがわかる。」図の一部が拡大され、その中に様々な形の銀河がひしめき合っている。その下に「私たちの銀河系」という図があり、渦巻きの片隅に太陽系の位置が示されている。この項を読んだ時、私は驚きと同時に底知れぬ不安を感じた。こんなにも広大な空間の中で、我々人類は寄る辺なく、寂しく存在しているのだ・・・。

もうひとつ、印象的なセンス・オブ・ワンダー体験がある。小学生の頃、近所の友人と兄弟姉妹、母親達で時々、健康のために夜に散歩していた。母親達がおしゃべりをしながらゆっくり歩いているのに退屈して、私と友人は、よく全力で走って速さを競っていた。ある時、走り疲れた私達はアスファルトの上に大の字で倒れ夜空を見上げた。私の故郷は、夜は虫の音がうるさいくらいで、車の音や人の声はほとんどしない。それから高い建物がなく、人工の明かりも少ないので、月や星がはっきりと見える。空を見つめること十数秒間、ちょうど視界に家や街灯が入らず、宇宙だけが、目の前に広がっていた。その時だった。私は背中にあたる地面の感覚を忘れ、まるで宇宙空間を漂っているような錯覚に襲われた。周囲の人の気配が消え、一人で宇宙に投げ出されているようで怖かった。その時に、自分という存在は確かに、宇宙空間の中にあるということを、身をもって実感した。

以上のような体験が関係しているのか、私は少年時代、この世界に対する畏怖の念を強く持っていた。日常生活のあいまにふと、宇宙の広さのことや、天文学的な時間の流れを考えることがあり、頭の中が混乱するようだった。その時だけ本当に孤独だった。

 

私の孤独を受け止めたのは、戦後に活躍したSF作家達だった。手塚治虫の『火の鳥』、藤子・F・不二雄のSF短編シリーズ、中学生の頃は図書室にある星新一の本を全て読んだ。これらの作家の本を読むと、混乱していた頭の中が、物語の型に助けられながら、新しい言葉や概念を取り込み、少しずつ耕されるようだった。

考えてみると、現在の宇宙観というものは、本当に近年になってできたものだ。一九二九年にエドウィン・ハッブルが宇宙の膨張を主張、これを基に一九四八年、ジョージ・ガモフがビッグバン理論を発表、その後、インフレーション理論や宇宙の大規模構造が提唱されたのは一九八〇年代になってのことだ。これら一連の理論が展開される以前は、宇宙に始まりがあるなど考えられていなかったし、現在考えられているような宇宙の大きさは、想像が及ばなかった。そう考えると、戦後日本のSF作家達は当時最先端の科学的知見を即座に物語の中に組み込んでいたのだと感心する。

二十一世紀を生きる私達は、祖父母以前の世代と共有し得ない世界観に直面している。ニュートリノのような素粒子の仕組みが解明され、宇宙の起源に関する事柄もどんどん明らかになっていく。その時、宇宙のあまりに現実離れした運動、人類のことなど気にも留めないような振る舞いに、私達はますます虚無や恐怖を感じないだろうか。戦後のSF作家達はそれを物語の形に昇華させたが、私達も同じように物語を作れるだろうか。科学のスピードに、文化や宗教は追いつけるのだろうか・・・。

 

センス・オブ・ワンダーという言葉を軸に、世界の不思議と対峙してきた私の過去を語ってきたが、ここまで述べてきた不思議さとは、主に「世界の存在の仕方」に関するものだ。具体的にいうと、どのような経緯で今の世界(宇宙)ができたのか、そして今、世界(宇宙)はどのような形をしているのか、といったことへの不思議さである。

一方で、私にはもっと根本的に不思議さを感じることがある。それは、「そもそもなぜ世界が存在しているのか」ということだ。休日の朝、仰向けに寝転がって薄明るい天井を眺めていると、リラックスした心の状態になり、ふと「存在する」ということそのものに意識が向けられる。そして思索が始まる。なぜ世界は存在してしまっているのだろう。なぜ「存在」なのか。なぜ「無」ではないのか・・・。

哲学の分野では、実体を否定する立場がある。この世界は力や運動だけがあるのに、人間が目に見えるものに名前を付けて、あたかも何かがあると思い込んでいるだけだとする立場である。仮にそれが真理だとして、それではなぜ力や運動があるのだろう。なぜ何かが動いてしまっていて、無ではないのだろう・・・。

「なぜ無ではなく、何かがあるのか」という命題は、哲学史上、長く議論されており、十七世紀にライプニッツが定式化したとされる。この問いを「解決不能な愚問」と責める哲学者もいたようだが、私は、解決不能でも、この問いを持って生きる姿勢を大切にしていきたい。というよりも、このような問いを立て、不思議な気持ちになる時にやっと私は、生きていると実感できるのだ。

日本史1200年区分法

仏教、儒教道教、それからギリシア哲学といった優れた思想は、地理的に離れた場所であるにも関わらず、ほぼ同時代に起こったとされる。カール・ヤスパースは、その時代を「枢軸時代」と呼んだ。

その頃、日本は縄文から弥生に移る頃で、やっと「社会」というものが出来てくる頃だった。「枢軸時代」の思想が日本に輸入されるまで、ここから1200年程の時間がかかる。

そういうことを考えていると、「日本史は1200年ごとに区切れるのではないか」という考えが頭に浮かんだ。試しに表を作ってみた。

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狩猟採集期

いわゆる縄文時代。身分の格差はなく皆平等で、ある意味、真に「平和」な時代。人々は自然の中に精霊(カミ)を見出して、祈りを捧げていた。

他の地域では既に、身分階層を前提とした都市国家が起こって何千年も経過していたというのに、日本はそうでなかった。おそらく、食物がもともと豊富であったことから、人間同士で争ったり、大規模な共同作業を行う動機が少なかったのだと思われる。

この、他の地域に比べての狩猟採集期の異常な長さが、日本文化を独特なものにしているのではないかと私は考える。

第一ターム(クニ期)

日本における「国」の始まりは、私達の持つ神話に書かれている通りに、皇紀元年とするのが妥当と考える。この時期に縄文から弥生に移り、身分階層や大規模な共同作業という「国」の要素が芽生え始めたからである。

ただしこの頃、日本列島には複数の国(クニ)があった。それが、戦闘や政治的協議を経て、一つの「日本国」へと集約されていったのである。その間まさに約1200年。

またこの時期、「国」の権威を確かなものにするために、「神話」が体系化されていった。それまでの単なる自然崇拝と違い、王の血筋を遡る形での「物語」が紡がれていった。この作業が完了するのが、皇紀1372年(西暦712年)の『古事記』、皇紀1380年(西暦720年)の『日本書紀』である。大体1200年間である。

第二ターム(中央集権国家期)

日本各地にあった国(クニ)が統一され、さらにその権威が「神話」によって確立したことをもって、国づくりは次の段階に進む。つまり、法や都市計画が整備され、より強力な「中央集権国家」が作られていった。

第一タームが、大陸からの「弥生人」によって駆動されたように、第二タームは「渡来人」によって駆動された。ここで、1200年前に発明された「枢軸時代の思想」がやっと我が国に入ってくる。仏教、儒教道教は、第二ターム前期(飛鳥・奈良・平安)に「受容」され、後期(鎌倉・室町・戦国・江戸)に庶民の生活レベルにまで「浸透」した。

を以て貴しとなす」という言葉から始まったこのタームにおいて、まさに現代の我々が「和風」と呼ぶ文化が生まれた。それは、狩猟採集期のアニミズムと、第一タームの皇祖礼崇拝をベースに、「枢軸時代の思想」である仏教、儒教道教ローカライズされ、熟成されていったものである。この「和風時代」が終わるのが皇紀2528年(西暦1868年)、江戸時代の終わりである。

第三ターム(国民国家期)

国づくりの次なる段階は、「欧米人」によって駆動された。

「民主主義」や「学校」という諸制度を受け入れて、私達の社会は、それまでの時代とは見た目も、中身も、大きく変わってしまった。

しかし、第三タームも他のタームと同じく1200年間と予想するならば、実は21世紀というのは、前期のさらに前半なのである。第二タームでいえば平安前期であり、外来思想の「受容期」である。

そう考えるならば、我々が民主主義の精神を我が物にするまでには、まだまだ500年くらい、さらにその制度を使いこなして用済みとするまでには1000年くらいの歳月がかかるのではないだろうか。

選挙カーでの候補者の名前連呼、揚げ足取りに終始する国会答弁等を見ていると、本当にそれくらいかかりそうである。

国木田独歩はタナトフォビア(死恐怖症)だった?

ある「体験」

たとえば宇宙に関する本を読んで、その空間的な広がりや、時間単位の途方もなさに、唖然とさせられる。そんな夜に布団の中で考え事をし出すと、ますます目がさえて寝付けない。

広大な宇宙空間の片隅に、ほんの一瞬光って消えるような、儚い自分のいのち。その「存在価値」は?

自分が「無」となった後に流れるであろう膨大な時間・・・何億年、何兆年も、時間は流れ、いつか地球どころか太陽も消え、そしてこの宇宙自体もビッグクランチ(収束)してしまうという。

これは作り話ではなく、最新の科学の見解であり、「現実」なのだ、と実感した時、「死にたくない、『無』になりたくない、こわい、こわい」と一種のパニック状態になり、電気をつけて飛び起きてしまう。私は一人暮らしなので、助けを求められる人がいない。もし隣に誰か寝ていれば起こしているだろう。

誰も分かってくれない

同じ体験をした人に会ったことがない。ある友人にかなり詳しくその体験を伝えたが、「分からない」とのことだった。

ある時、タナトフォビア(死恐怖症)という言葉を知った。学問的にあまり追究されていないようで、確固とした定義もないようだ。私は、上に書いたようなパニック状態になることをタナトフォビアというのだと、自分なりに定義した。

こんなにも心理的に危ない状態になるというのに、学問上そのメカニズムが解明どころか、問題にもされていない、また社会の中でも公に話されることがないことに、私はいつも違和感をもっていた。

ネット上の「同士」

ネットで「死ぬのが怖い」「タナトフォビア」と検索すると、質問サイトや匿名掲示板で、やっと自分と同じ体験をしている人達を見つけた。「自分だけではない」と分かっただけで、少し救われた。

しかし、質問サイトでの、その切実な質問に対し、ほぼ全ての回答者は「体験をしていない人々」であって、正論を言っているのだけれど、「体験」をしている側からするとかなり頓珍漢な回答だった。 

今から10年前(2005年6月)、大学生の私は「体験」のことをブログに書いた。

76842510.at.webry.info

大学を卒業してからは、また別のブログを作った。

d.hatena.ne.jp

「死ぬのが怖い」というアカウント名のツイッターも始めた。

twitter.com

これらの取り組みは、ネット上の「同士」と体験を「共感」するためのものだった。

国木田独歩、晩年の「絶唱」

2015年の今、30歳になった私の心はなぜか、落ち着いている。ここ3年くらい、「体験」に陥っていない。不思議だ。よくわからないが、日本古来の「無常感」や、「荘子」の思想、また夏目漱石が「則天去私」、森鴎外が「諦念」と言ったこと等に興味が湧いてきている。古の人々が、死や、命の儚さに苦しみながらも、思考を巡らせてきたことが分かってきて、なぜか落ち着いている。

最後に最近読んだ本を紹介する。この本で、国木田独歩は晩年、「タナトフォビア」だったのかもしれない、と思った。

「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる (NHKブックス)

「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる (NHKブックス)

 

 国木田独歩の引用箇所を、さらに引用。

要するに悉(みな)、逝けるなり!

在らず、彼らは在らず。

秋の入日あかあかと田面(たのも)に残り

野分はげしく颯々(さつさつ)と梢を払う

うらがなし、ああうらがなし。

 

水とすむ大空かぎりなく

夢のごと淡き山々遠く

かくて日は、ああ斯くてこの日は

古(いにしえ)も暮れゆきしか、今もまた!

哀し、哀し、我が心哀し。

(「秋の入日」)

 

無窮の時間、無窮の空間に包まれたる人生は実に不思議なり。無窮の時間と空間が人間の思想に不思議と認めらるる限りは人生は不思議なるなり。

嗚呼タイム。すべてのものこの永劫の海に浮沈生滅す。

嗚呼幻なるかな、時!昨日昨夜何処にある。すべての過去何処にある。吾!これ幻なるかな。嗚呼吾の生存を感ず。

この現存する吾!このタイム。この無窮!知らず、相関するの深意は如何。

(『欺かざるの記』)

 

不思議なる世界、不思議なる生命。不思議なる人間の世。

習慣と煩悩とは吾をしてこの不思議を忘れしむ。・・・・・・

すべての最初はこの不思議を極感するにあり。

(『欺かざるの記』)

映画『百日紅(さるすべり)~Miss HOKUSAI~』 - なぜ阿弥陀仏は人を踏み潰したのか

5月10日(日)に見て参りました。

sarusuberi-movie.com

北斎「最果てが見たい」

椎名林檎による主題歌のタイトル「最果てが見たい」は、主人公お栄の父親、葛飾北斎の言葉のように感じます。死に臨み、あと十年、いやせめて五年生かしてくれれば「真正の画工」になってみせると、最期まで表現の追求をやめなかった画狂老人の姿が思い浮かびます。

曲の詞の中に「生命を越えて本当の未踏の地へ」とありますが、これも北斎やお栄の、絵師としての生き方を表しているように感じます。

画を描くということは、想像力をつかい、この世の法則や決まりごとから自由になることで、誰も見たことのないものを現出させることです。現実の風景を正確に記録に残すのなら、写真で十分です。現実に見えないものを見えるようにするからこそ、画を描く意味があるのです。そもそも江戸時代に写真はありませんが、北斎とお栄が目指したのは、写実主義ではなく、間違いなく「この世を越え出る」ことでした。

(※以下ネタバレあり)

この映画自体も、「アニメ」という技法を取ることで、実写にはできないことに挑戦しています。冒頭の両国橋から一気に俯瞰で江戸の全景を見せるショット、船が北斎画(神奈川沖浪裏)の波に乗るシーン、物の怪が登場するシーンなど、「エンタテインメントに徹して大サービスしたつもりです」と監督自身が語っています。

「エンタテインメントに徹して大サービスしたつもりです(笑)」 『百日紅〈さるすべり〉~Miss HOKUSAI~』 原恵一監督インタビュー - インタビュー&レポート | ぴあ関西版WEB

なぜ地獄絵図を飾るのか

地獄絵図に怯える奥方のエピソードが出てきますが、そもそも何故、当時の人は地獄絵図という、見ていて心地よくないものを、描いたり、飾ったりしていたのでしょう。

ある展覧会での地獄絵図の説明文に「死後の世界を描き、自分の手中に収めることによって、その恐怖を克服しようとした」とありました。

死後どうなるかということは、現代に至っても決定的な解答は出ていません。わからないものに悩み続けると、人は思考やエネルギーを奪われ、生活を健康的に送れなくなります。そこで、物語が必要なのです。科学的な整合性より、「信じられるか」が重要です。深く考えず、自分の中にスッと入ってくる物語を「一旦、信じておく」ことで、「世の中とはこういうものだ」「死んだらこうなるんだ」と感覚的なレベルで納得でき、恐怖を「一旦、保留」することができるのです。

ただ、あまりに一方的で、解釈の余地のない物語というのは、人を不安にさせます。鉄蔵(北斎)がお栄の地獄絵図に観音様を書き足したのは、物語に解釈の幅を与えたということです。端に小さく付け加えただけですが、これによって、奥方は自分なりの解釈で物語の中に「救い」を見つけたのです。物語にはリアリティがなければなりません。幸/不幸、聖/俗、快/不快、二面性があってリアルなのです。どちらかの一面だけでは、「作り物」になってしまいます。この映画自体も、深いテーマを扱いながら、人間の俗な面も描いて、バランスを取っているように感じました。

なぜ阿弥陀仏は人を踏み潰したのか

男娼の夢に出てきた山越阿弥陀のエピソードも、ある意味リアリティを担保しています。仏に祈れば100%救われるかというと実際はそうではないのです。運命は、時に残酷なまでに「無情」です。仏に救われて、めでたしめでたしの物語だけでは、バランスが悪いのです。

物語は、「不条理」 にも応えるものでなくてはなりません。なぜなら、現実世界は論理で説明できることだけでできていないからです。というよりも、人間が、論理的説明だけでは納得できないからです。大切な人を交通事故で亡くした時、なぜその人が死んだかについて、「頭を強く打ったから」という説明をしても、心は静まりません。なぜ、その人が死ななければならなかったのか?について、科学では答えられません。それに答えるのは物語なのです。

お栄の妹、お猶が逝ってしまった後、鉄蔵は「俺がお猶の目も命も奪ってしまったんだなあ」とつぶやきます。不幸を、自らの「業」の深さゆえだと解釈したのです。

お栄も鉄蔵も母も、泣きわめいたりしませんでした。ただ、静かにそのシーンは過ぎていきました。死に対してこのような達観した態度が取れるのは、三人が「物語」を深く理解しているゆえなのだと思います。

そっちの世界はどうだ?

ラストシーンで、お栄が夜空に向かって(正確な台詞は憶えていませんが、たしか)「そっちの世界はどうだ?」と呼びかけます。このように、死者に呼びかけること、死者と交流を持つことは、実は独特の宗教観なのです。キリスト教イスラム教文化圏では、死者と交流を持つことは、基本的にネガティブにとらえられます。それに対して日本では、現代でも家の中に仏壇を置いて先祖への「呼びかけ」を行う習慣が続いているように、死者が「身近」であり、いつでもコミュニケーション可能なのです。

花魁の首がニュ~ッと伸びて「幽体離脱」するエピソードがありました。これも、「あの世とこの世」の行き来を想像させます。生きながらにして、あの世に「首をつっこむ」こともできる世界観なのです。

百日紅の下で、金魚を見つめているお猶の絵。背景が可愛い桃色で、なんだかとても「幸せな時間」が流れています。金魚を「見つめている」ということは、お猶の目は、見えているのでしょうか・・・この絵は、お栄が創った「現実」なのです。

「生命を越えて本当の未踏の地へ」向かうということ。

それは、素敵だったどなたかが、もしもいま、まだお元気でいらしたら、何を見て何を思い、何を目指していらっしゃるだろう。それを考え、恥じ、省み、やっぱり生きることなのだと思い至るのでした。

椎名林檎、映画公式サイト内「百日紅~Miss HOKUSAI~」およびその主題歌について」)

画を描くということは、これまで見たように「この世を越え出ること」あるいは「物語を紡ぐこと」でした。つまりは、「現実を多層化すること」なのです。光学的に眼に映るものだけが「現実」ではないのです。喜び、悲しみ、怒り等の感情、愛や希望、何かにとらわれること、思い込み、何かへの畏れ、恐怖・・・そういう「気持ち」に「現実」は彩られるのであり、それを写し取った絵からは、逆にその「気持ち」が立ち現れます。そういう意味で、画を描くということは、技術ではなく、儀式なのです。

金魚を見つめるお猶の絵から、お栄の切実な気持ちが伝わってきて、涙をこらえるのに必死でした。本当に、感動的なラストでした。

百日紅 ?Miss HOKUSAI? オフィシャルガイドブック

百日紅 ?Miss HOKUSAI? オフィシャルガイドブック

 

江戸時代まで千年間読まれた道徳の教科書 実語教 全訳

日本人の価値観に深く関わっているとされる教訓書、「実語教」(じつごきょう)を紹介します。「実語教」は平安時代に作られ、約千年間にもわたって読み継がれてきました。特に江戸時代には寺子屋の教科書として使われました。

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動画

解説動画を作ってみました。 

www.youtube.com

全訳

全96句の書き下し文と私なりの訳を記します。私は古典の専門家ではありませんので、間違いがあったらスミマセン。

 

山高(やまたか)きが故(ゆえ)に貴(たっと)からず

木(き)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす

山はただ高いから尊いのではない。

木が茂っているからこそ尊いのだ。

 

人(ひと)肥(こ)えたるが故(ゆえ)に貴(たっと)からず

智(ち)有(あ)るを以(もっ)て貴(たっと)しとす

人は裕福だから偉いのではない。

智恵を持つからこそ偉いのである。

 

富(とみ)は是(これ)一生(いっしょう)の財(ざい)

身滅(みめっ)すれば即(すなわ)ち共(とも)に滅(めっ)す

富というのは、生きている間だけ持てる物であり、

死んで体が消滅してしまえば、同時に失う。

 

智(ち)は是(これ)万代(ばんだい)の財(たから)

命(いのち)終(お)われば即(すなわ)ち随(したが)って行(ゆ)く

一方で、智恵は長い年月にわたって持続する宝である。

命が終わっても、ついてくる。

 

玉磨(たまみが)かざれば光(ひかり)無(な)し

光(ひかり)無(な)きを石(いし)瓦(かわら)とす

玉は磨かなければ光を発しない。

光らない玉は、ただの石の塊だ。

 

人(ひと)学(まな)ばざれば智(ち)なし

智(ち)なきを愚人(ぐにん)とす

人も学ばなければ智恵を持てない。

智恵のない人は、愚人だ。

 

倉(くら)の内(うち)の財(ざい)は朽(くち)ることあり

身(み)の内(うち)の才(さい)は朽(くち)ることなし

蔵の中にある財宝は朽ちてしまうことがあるが、

体の中にある智恵は、朽ちることがない。

 

千両(せんりょう)の金(こがね)を積(つ)むと雖(いえど)も

一日(いちにち)の学(がく)には如(し)かず

いくら大金を積んでも、

一日勉強したことの価値には及ばない。

 

兄弟(けいてい)常(つね)に合(あ)わず

慈悲(じひ)を兄弟(けいてい)とす

兄弟といつまでも一緒にいれるわけではないが、

慈悲の心はいつまでも持ち続けられる。

 

財物(ざいもつ)永(なが)く存(そん)せず

才(さい)智(ち)を財物(ざいもつ)とす

財物は長く存在しない。

智恵こそが大事だ。

 

四大(しだい)日々(ひび)におとろえ

心神(しんじん)夜々(やや)にくらし

身体を構成する地・水・火・風の四元素は日々衰え、

心も次第に暗くなっていく。

 

幼(いとけな)き時(とき)勤学(きんがく)せざれば

老(おい)て後(のち)恨(うら)み悔(く)ゆと雖(いえど)も

尚(なお)所(しょ)益(えき)あることなし

幼い時に勉強せず、

老いた後に悔やんでも、

何の得にもならない。

 

かるが故(ゆえ)に書(しょ)を読(よ)んで倦(う)むことなかれ

学(がく)文(もん)に怠(おこた)る時(とき)なかれ

だから本を読むことを嫌がってはいけない。

学問を怠ってはいけない。

 

眠(ねむり)を除(のぞ)いて通夜(よもすがら)誦(じゅ)せよ

飢(うえ)を忍(しの)んで終日(ひねもす)習(なら)え

寝る間も惜しんで毎晩、本を音読せよ。

空腹を我慢して一日中勉強せよ。

 

師(し)に会(あ)うと雖(いえど)も学(まな)ばざれば

徒(いたづら)に市人(いちびと)に向(むか)うが如し

師に会っても、その人から学ばなければ、

無駄に一般人と会うのと同じだ。

 

習(ならい)読(よ)むと雖(いえど)も復(ふく)せざれば

只(ただ)隣(となり)の財(たから)を計(かぞう)るが如し

習読しても、何度も繰り返さなければ、

ただ、隣の家の財宝を数えるくらい無駄なことである。

 

君子(くんし)は智者(ちしゃ)を愛(あい)す

小人(しょうじん)は福人(ふくじん)を愛(あい)す

君子(立派な人)は智恵のある人を好み、

小人(つまらない人)は金持ちを好む。

 

富貴(ふうき)の家(いえ)に入(い)ると雖(いえど)も

財(ざい)なき人(ひと)のためには

なお霜(しも)の下(した)の花(はな)のごとし

金持ちの家に生まれたとしても、

その人に価値が備わっていなければ、

霜の下の花のように存在感がない。

 

貧賤(ひんせん)の門(もん)を出(い)づると雖(いえど)も

智(ち)ある人(ひと)のためには

あたかも泥中(でいちゅう)の蓮(はちす)の如(ごと)し

たとえ貧しい家に生まれたとしても、

智恵のある人は、

泥の中に咲く蓮のようだ。

 

父母(ふぼ)は天地(てんち)の如(ごと)し

師(し)君(くん)は日月(じつげつ)の如(ごと)し

父母は天と地であり、

師は太陽と月である。(自分より上の存在である)

 

親族(しんぞく)はたとえば葦(あし)の如(ごと)し

夫妻(ふさい)はなお瓦(かわら)の如(ごと)し

親族は葦のようであり、

夫婦は瓦のようだ。(自分と同列の存在である)

 

父母(ふぼ)には朝夕(ちょうせき)に孝(こう)せよ

師(し)君(くん)には昼夜(ちゅうや)に仕(つか)え

友(とも)に交(まじわ)って諍(あらそ)うことなかれ

父母には朝から晩まで孝行せよ。

師には一日中仕えよ。

友とは仲良くし、喧嘩するな。

 

己(おのれ)より兄(あに)には礼(れい)敬(けい)を尽(つく)せ

己(おのれ)より弟(おと)には愛顧(あいこ)をいたせ

自分より年長の者には礼儀正しく敬い、

自分より年下の者は可愛がれ。

 

人(ひと)として智(ち)なきは

木石(ぼくせき)に異(こと)ならず

智恵の持たない人は、

木や石と同じだ。

 

人(ひと)として孝(こう)なきは

畜生(ちくしょう)に異(こと)ならず

孝の心を持たない人は、

動物と同じだ。

 

三学(さんがく)の友(とも)に交(まじ)わらずんば

何(なん)ぞ七(しち)学(がく)の林(はやし)に遊(あそ)ばん

三学(戒学・定学・恵学)を学ばずに、

どうやって七覚を身につけられよう。

七覚支:仏道修行における7種の注意点(択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)

 

四等(しとう)の船(ふね)に乗(の)らずんば

誰(た)れか八苦(はっく)の海(うみ)をわたらん

四等(慈・悲・喜・捨)の船に乗らないで、

誰が八苦の海を渡れるだろうか。

八苦:生・老・病・死・愛別離苦怨憎会苦求不得苦五蘊盛苦

 

八(はっ)正(しょう)の道(みち)は広しといえども

十(じゅう)悪(あく)の人はゆかず

八正道は広大な教えだけれども、

十悪を行う者にはできない。

八正道:仏道修行の基本となる8種の徳(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)

十悪 :してはいけない10種の悪行(貪欲・瞋恚・愚痴・綺語・両舌・悪口・妄語・殺生・偸盗・邪淫)

 

無為(むい)の都(みやこ)に楽(たの)しむと雖(いえど)も

放逸(ほういつ)の輩(ともがら)は遊(あそ)ばず

無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、

だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。

 

無為の都(浄土)に至り楽な心になるといっても、

だらしなく精進を怠る者はその境地に至れない。

老いた人を父母のように敬い、

幼い人を子どもや弟妹のように愛せよ。

 

我(われ)、他人(たにん)を敬(うやま)えば

他人(たにん)、また我(われ)を敬(うやま)う

自分が他人を敬えば、

他人は自分を敬う。

 

己(おのれ)、人(ひと)の親(おや)を敬(うやま)えば

人(ひと)、亦(また)己(おのれ)が親(おや)を敬(うやま)う

自分が他人の親を敬えば、

他人は自分の親を敬う。

 

己(おのれ)が身(み)を達(たっ)せんと欲(ほっ)せば

先(ま)ず他人(たにん)を達(たっ)せしめよ

自分の身を良くしたければ、

まず他人を良くしてあげなさい。

 

他人(たにん)の愁(うれい)を見(み)ては

すなわち自(みずか)ら共(とも)に患(うれ)うべし

他人が悲しんでいるのを見たならば、

自分も一緒に悲しみなさい。

 

他人(たにん)の喜(よろこ)びを聞(き)いては

すなわち自(みづか)ら共(とも)によろこぶべし

他人が喜んでいる声を聞いたならば、

自分も一緒に喜びなさい。

 

善(ぜん)を見(み)ては速(すみや)かに行(ゆ)き

悪(あく)を見(み)てはたちまちに避(さ)れ

他人の善行を見たなら、自分もそれを速やかに行い、

他人の悪行を見たなら、自分はそれを行うな。

 

悪(あく)を好(この)む者(もの)は禍(わざわい)をまねく

たとえば響(ひびき)の音(おと)に応(おう)ずるが如(ごと)し

悪行を好んで行う者は不幸を招く。

それは、音が起これば響く、という関係と同じように当然のことだ。

 

善(ぜん)を修(しゅ)するものは福(ふく)を蒙(こう)むる

あたかも身(み)に影(かげ)の随うが如(ごと)し

善行を行う者は福を受ける。

それは、体にいつも影がついてくるようなものだ。

 

富(と)むといえども貧(まづ)しきを忘(わす)るることなかれ

或(あるい)は始(はじめ)に富(と)み終(おわ)りに貧(まづ)し

たとえ今が裕福であっても、貧しい時の気持ちを忘れてはいけない。

最初は裕福であっても、終わりに貧しくなることもある。

 

貴(たっと)しといえども賤(いや)しきを忘(わす)るることなかれ

或(あるい)は先(さき)に貴(たっと)く終(のち)に賤(いや)し

たとえ今が高貴な身分であっても、賤しい身分の気持ちを忘れてはいけない。

最初は高い身分であっても、終わりに賤しい身分になることもある。

 

夫(そ)れ習(なら)いがたく忘(わす)れやすきは

音声(おんじょう)の浮(ふ)才(さい)

習うのが難しく、忘れやすいのは、

音楽のような芸才。

 

また学(まな)び易(やす)く忘(わす)れがたきは

書(しょ)筆(ひつ)の博(はく)芸(げい)

学ぶのが容易で、忘れにくいのは、

読み書きの才能である。

 

但(ただ)し食(しょく)あれば法(ほう)あり

亦(また)身(み)あれば命(いのち)あり

食べるから存在できる。

身体があるから、命がある。

 

猶(な)お農業(のうぎょう)を忘(わす)れず

必(かなら)ず学(がく)文(もん)を廃(はい)することなかれ

農業を忘れず、かつ、

必ず学問をやめてはならない。

 

故(ゆえ)に末代(まつだい)の学者(がくしゃ)

先(ま)ずこの書(しょ)を案(あん)ずべし

後世の学問に励む者は、まず

この書(実語教)を読み、考えるべし。

 

是(こ)れ学問(がくもん)のはじめ

身(み)おわるまで忘失(ぼうしつ)することなかれ

この実語教は学問の出発点である。

死ぬまでここに書いていることを忘れるな。