これからの働き方

「会社」の時代

歴史を学べば学ぶほど、現代が「会社」というものに支配された特殊な時代だと気づかざるを得ません。人類の歴史において、「会社」というものが広まりだしたのは、ここ百年程の内の出来事なのです。それなのに、私達の人生というのは「会社」と深く結びついていて、「会社」無しの状態が考えられない程になっています。

『ザ・コーポレーション』(2003)は、そのような現代の異常性を照射したドキュメンタリー映画です。

ザ・コーポレーション [DVD]

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この映画では、サイコパス(反社会的人格)の特徴をそのまま現代の大企業に当てはめます。
1.極端に自己中心的。
2.慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無い。
3.冷淡で共感がなく、自分の行動に責任が取れない。
4.他人への思いやりがない。
5.人間関係を維持できず、他人への配慮に無関心。
6.利益のために嘘を続け、罪の意識がなく、社会規範や法に従えない。

会社というのは、ここまで酷いものではないだろうと思う人もいるでしょう。たしかに、この映画が糾弾しているのは、現代の会社の中でも特段、利益追求至上主義で問題があるような企業であって、一般に目にする会社は、もっとマシです。ただ、「会社」というものがその性質上、放っておけば人間性を無視するような暴挙に走りかねないということを、例を挙げて指摘しているのです。

「昭和の会社」の再評価

中野剛志『資本主義の預言者たち』を読みました。

ミンスキー、ヴェブレン、ヒルファーディング、ケインズシュンペーターといった5人の経済学者の思想を紹介し、そこに、短期的で利己的な「営利」よりも、長期的で共同体的な「産業」を重視すべきであるという共通のヴィジョンを見つける、といった論旨です。さらに、「われわれ日本人にとって、このようなヴィジョンは、実は、新しいものでも異国のものでも」ないと言います。

そう、1980年代までの昭和の会社というのは、共同体的な「産業」を地道に営んでいたのです。ところが、90年代から構造改革規制緩和グローバル化といった言葉が異様にもてはやされるようになり、会社は「営利」主義に傾き、「自己中心的」で「他人への思いやりがない」性格を帯びてきたのです。

こんな「働き方本」ノゾム!

本書は、「経済学思想」の本ですが、この本で主張されていることを、具体的な「働き方」に落とし込んで本にしたら面白いのでは、と思います。

というのも、現在書店に並んでいる働き方の本は、まだ、「個人主義」路線なのです。ライフ・プランニング、セルフ・ブランディング自己実現・・・そういう言葉をよく見ます。また、どの本を読んでも、「自分で選択する」ことを最高の価値として掲げています。『人を動かす』という本があるように、世界は自己意識を中心に回っているようです。こういう本にはもう、飽きました。

「利己的」な金融資本主義の破綻が明確になった今、逆張りをやってみたらどうでしょうか。共同体的な働き方とは何か?を問う本がもっとあっていいような気がします。「自分で選択する」ことはもちろん大事ですが、同僚や取引先の気持ちを察しながら、気を遣いながら物事を決めることの大切さもあるはずです。

実際、私は製造業という比較的、共同体的性格の残る業界で働いているせいか、「自分で選択する」ことを強くやり過ぎると、空回りしてうまくいかないことが多いです。社内合意形成のプロセスであったり、人間関係の調整に一番神経を使うのですが、そういうことに深く踏み込んだ本に巡りあったことがありません。だから、今書店で売られている仕事本は、私の仕事の役にたたず、買うことがありません。

『資本主義の預言者たち』では、「慣習」「伝統」「道徳」という言葉が重要な意味を持っており、また、「家族動機」「製作者本能」といった概念が紹介されています。ここでは説明しきれませんので、興味のある方は読んでください。

上記のような言葉・概念に基づいた「働き方本」があれば是非読んでみたいです。昭和を懐古するようなテイストには陥らず、新しさをまとった形で、そのような本が登場することを願います。

美しい日本の私は、曖昧ではない

先日、4月16日は川端康成の命日でした。

ふと思い出して、随筆集を買いました。

川端康成随筆集 (岩波文庫)

川端康成随筆集 (岩波文庫)

 

4つの章立てのうち、第一章には、ノーベル賞記念講演「美しい日本の私」と、その翌年に書かれた随筆4篇が収録されており、講演で語った内容の背景がよく分かります。

計算されたタイトル

「美しい日本の私」というタイトルにひっかかる人は多いと思います。「思い上がってるんじゃないか?」と。確かに自分の国を「美しい」というのは、少し恥ずかしいです。

しかし、中身を見てみますと、美しいと思うものを正直に話しているだけで、自国の文化を「誇って」いるような印象は受けません。私は、このタイトルは「あえて」付けられたのだと思います。川端氏の芸術家としての計算があったのではないかと。

当時から、日本文化というのは、「異質なもの」「理屈でわからないもの」とよく言われてきました。本当のところ、日本文化には、どのジャンルをとっても、れっきとした発展の歴史があり、「理屈がある」のですが、何故そう言われるのかというと、西洋の学者がまともに関心を持って調べていなかったからです。外面だけを見て理解が及ばないので、「理屈がない」「神秘的」ということにして、評価を避けてきたのです。

サイデンステッカーやキーンのように、まともに日本文学を読む学者が出てきて、やっと変わり始めた頃でした。時流を読んだ川端氏は、世界に向けて、「日本には、美の追求の歴史がある」ということを強く言ってやろうと考えたのではないでしょうか。だから、少々煽り気味のタイトルになったと思うのです。

 「交流」の姿勢

ノーベル賞受賞が決まった翌日に、川端氏、三島由紀夫伊藤整の鼎談放送があったのですが(特別番組「川端康成氏を囲んで」, NHK)、その中で三島由紀夫が、川端氏の受賞は日本文学がやっと西洋に理解されてきた証であり、「日本」という「注釈」が要らなくなってきたと語っていました。伊藤整も、西洋に驚きを与えながら、その仲間に入っていくのはいいことだと話していました。

川端氏をよく知る二人がこのように話すように、川端氏は日本文化を「特殊」にしたいのではありません。むしろ逆に、「普遍」的な美を、日本の歴史の中に見つけ、世界と共有しようとしているのです。

川端氏は、決して日本文化の優位性を主張していません。表現を追求する世界の仲間達に向けて、「うちには、こういうものがありますよ」と、自分が一番よく知っているものを紹介し、「交流」しようとしているのです。随筆集収録「日本文学の美」で次のように言っています。

海外諸国との文化交流はいよいよ繁くなるなかで、世界の文化が万国博覧会のようにあるなかで、自分の国の文化を立ててゆかなければなりません。そして世界文化をつくるつもりが民族文化をつくることになり、民族文化をつくるつもりが世界文化をつくることにならねばなりません。

川西政明・編『川端康成随筆集』47頁)

「あいまいな」大江健三郎の講演

1994年、大江健三郎ノーベル文学賞記念講演「あいまいな日本の私」での、「川端批判」は、上に書いたような川端氏の意図・姿勢を完全にミスリードしたものでした。

川端氏が講演で語ったことを「東洋の神秘主義」と言い、引用された禅僧の歌を「閉じた殻」「理解が及ばないもの」としています。

このような日本文化への「偏見」こそ、川端氏が乗り越えようとしたものであるのに、全く意図を汲み取れていません。川端氏の講演から30年近く経っているというのに、まるで100年前に戻ったかのような、「古い」理解です。

結局、文学者であるにも関わらず、普遍的な美について語ることなく、個人的な嗜好、とりわけ「政治話」を長々としただけでした。それは、戦後日本という「特殊」な環境に浸かった人にしか通じないような、極めて内輪的な内容でした。世界から集まった文学者にとって、この講演の意図は分かりにくく、「あいまい」であり、「殻に閉じた」ものであったに違いありません。

理解が及ばないことを相手のせいにして、簡単に「神秘主義」のレッテルを貼るような態度が、すなわち「交流」を拒むような態度が、人々を戦争や非人道的行為に導くのだと、私は思います。

 

「美しい日本の私」全文 http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1968/kawabata-lecture-j.html

「あいまいな日本の私」全文  http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1994/oe-lecture.html 

展覧会「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」ー2つのインパクトは呼応せず、すれ違った

日曜日(4月5日)に、行って参りました。

開国した日本が西洋から受けた衝撃(ウェスタン・インパクト)と、来日した西洋人が日本から受けた衝撃(ジャパニーズ・インパクト)を合わせて、「ダブル・インパクト」ということですが、最初に感想を申しますと、

  • 2つのインパクトは互いに呼応することなく、すれ違った

と思いました。

 double-impact.exhn.jp

 河鍋暁斎の錦絵の楽しさ

 展覧会の中のイチオシを挙げるとすると、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)『海上安全万代寿』(1863)です。(以下リンク先で見れます)

www.mfa.org

波の「うねり」が過剰にデフォルメされ、迫力があります。今にも飲み込まれそうな蒸気船。14代将軍家茂が乗っているそうです。海外からの勢力を無視できなくなり、幕府の権威が失墜していた時世、先行き不安な感じも漂わせています。

しかし、上空では船の後方から日本の神々が見守り、先方ではキツネ達が船を導いています。現実とファンタジーが自然に溶け合うこの構図は、現代の我々が見ても、純粋に「楽しい」。私の隣で絵を見ていたカップルも、「うわあ、錦絵って凄いなあ」と感動していました。

暁斎の絵は他にも複数展示されており、お雇い外国人からも人気だったという説明がありました。

写実主義」に傾く日本

奥に進むにつれ、幕末から明治時代に入っていくわけですが・・・その後の絵は西洋から絶賛されたような説明が見受けられません・・・どうやら最初の暁斎の作品群が、「ジャパニーズ・インパクト」のピークのようなのです。明治以降、日本は完全にインパクトを「受ける」側になってしまっています。

高橋由一『花魁(美人)』(1872)は、日本洋画史における貴重な第一歩であることには間違いないのですが、あくまで「国内での出来事」であって、西洋への「インパクト」の点から言えば、江戸時代の美人画の方が上です。

明治以降、日本美術は「写実主義」に傾き、浮世絵の世界にあった過剰なデフォルメ、大胆な構図、ユーモアは消えていきます。展覧会前半の「楽しさ」は次第に無くなり、「真面目」な作品が増えていきます。 

世界最先端を走っていた浮世絵

展覧会の「開催主旨」(http://double-impact.exhn.jp/about/)にて、「ジャパニーズ・インパクト」は、江戸時代の浮世絵だけではなかった、幕末明治の作品だって西洋人に衝撃を与えた、と書かれていますが、どうも西洋が絶賛していたのは、ジャポニスムの雰囲気が残る作品のようなのです。お雇い外国人に人気だった暁斎は、明らかに葛飾北斎系譜です。

その理由は、江戸時代の浮世絵が「近代」の最先端を走っていたからです。近代芸術の重要な要素として「写実」があることは確かですが、もうひとつ「自由」を挙げてもいいのではないでしょうか。江戸時代の浮世絵は、主題にとらわれることなく、「人間」「自然」を自由に表現しています。『北斎漫画』は、まさに万物を描きました。この「近代の先駆性」が西洋画家に高く評価され、「印象派」へとつながっていくのです。

まとめ

当時、西洋は「ジャパニーズ・インパクト」(ジャポニスム)に刺激されて「写実主義」を否定していたのです。ところが当の日本は、西洋が打ち返してきたボールに反応せず、「時代遅れの」写実主義にハマっていました。ちぐはぐな感じがします。これが、冒頭で述べた感想2つのインパクトは互いに呼応することなく、すれ違ったの意味するところです。

ただ、後半の展示でキラリと光っていたのが、岡倉天心らが編み出した「朦朧体」という新しい技法。「印象派」と通じるものを感じます。国内では不評でしたが、ニューヨークでは好評を博したということです。(以下リンク先:横山大観『海』)

www.mfa.org

※今回の記事の論旨は、田中英道氏『日本美術全史』からの影響が大きいです。

日本美術全史 世界から見た名作の系譜 (講談社学術文庫)

日本美術全史 世界から見た名作の系譜 (講談社学術文庫)

 

余談:クール・ジャパン

本文で述べたように、浮世絵は「自由」という普遍的価値を有していたからこそ、時代に迎えられたのです。決して、東洋趣味、エキゾチシズムのようなものではありません。

それでは現在、「クール・ジャパン」と呼ばれている日本のコンテンツは、よく言われるように、戦後日本の特殊な環境で醸成された「奇形的」文化なのでしょうか。

そのような「ガラパゴス論」でとらえてしまうと、本質を見誤る気がしますマンガ・アニメ・ゲーム・J-POPは、「現代」を先駆している可能性があります。

 マンガ・アニメに限らず、小説から映画に至る日本の現代作品の人気の理由として、ストーリーやキャラクターが、単に日本だけの問題でなく、同時代の世界に共通する問題を表象していて共感しやすい点を指摘する声は少なくない。具体的には、自然との共生だったり、家族や友情の意味だったり、優しさや孤独だったりするわけだが、それらは高度成長やポストモダンのプロセスのなかで、日本社会が向き合ってきた問題でもある。(渡辺靖『文化と外交』92頁) 
文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

 

世界が、我々の文化の何に目を向けているのか。それを見誤ると、「すれ違い」が繰り返されます。表面的にではなく、本質を理解して、世界から投げられたボールを打ち返せるように見極めていきたいです。 

「卒業式」は日本だけ!?

今週のお題「卒業」

私たちがよく知る「卒業式」が実は日本特有の儀式と知ったのが先月。

海外には無い、らしい。

詳しく知りたいと思っていたところ、良い本に巡り合えた。

その名も「卒業式の歴史学

卒業式の歴史学 (講談社選書メチエ)

卒業式の歴史学 (講談社選書メチエ)

 

卒業式のはじまり

本書によると、日本で最初の卒業式は、1876年(明治9年)陸軍戸山学校で行われた。

「卒業証書の授与」という儀式がここから始まり、その後、軍学校だけでなく、官立・公立学校にも広まっていく。

お雇い外国人のエドワード・モースは、1882年(明治15年)に東京女子師範学校の卒業式に臨席し、卒業証書授与の様子を記録している。生徒が何度もお辞儀をする様子が克明に記されており、礼儀作法への関心・感銘が伝わってくる。

式典は標準化されていき、明治半ばには、ほぼ現代と同じ式次第になっていた。

卒業式と「涙」

筆者は、「原則として泣くことを禁じられた空間」である学校において、例外的に「泣くことが望ましい場面」の代表として、卒業式をとらえている。

そうえいば最近、YouTubeに卒業式の合唱をアップする人が増えてきており、たまたま関連動画に挙がったひとつを見てみたところ、歌いながら感極まって泣いてしまう生徒達の純粋さに、おもわず私も心が震え、涙してしまった。

自分も体験したはずの卒業式を、客観的に映像で見てみると、意外な感慨が湧いてくる。

楽しかった思い出、充実感、達成感。友人との別れの悲しみ、切なさ。未来へ進む興奮と不安。そんな感情が混ざり合って涙しながらも、最後まで歌いきろうとする生徒達。それを囲むようにして座っている教師、来賓、保護者は、旅立ちを暖かく見守っているようだ。

「儀式」の良さとはこれだ、と思った。

人生の節目に、ドラマチックな演出で言葉を贈り合い、歌をうたい、涙を流す。

そのことで、記憶は美しいものとなる。

個人が精神的に成長していく中で、過去の自分への信頼・誇りが、どれだけ重要なものか。

 近代制度の成功例

筆者は、卒業式を「最も成功した儀式」という。

儀式の本質が集団の感情を喚起し行き渡らせることであるならば、卒業式は最も成功した儀式といってよいだろう。(中略)日本の近代学校に生まれた卒業式がたどった経緯は、むしろその特殊性ゆえに、儀式による「集合心性」の形成過程を明確に示す稀有な例といえるだろう。(231頁より)

実は私は、明治維新後の教育体制に疑問を持つことが多い。

「いろは歌」をやめて五十音にしてしまったし、全国の寺子屋で音読されていた「実語教」も習わなくなった。

しかし、卒業式に関しては、「近代学校」という西洋由来の型の中で、よくぞここまで日本人の感性に合う儀式に磨き上げてきたな、と思った。

最後に、いまや定番の卒業式歌『旅立ちの日に』の誕生秘話を、これまた最近知って感動した。こんなアツイ話があったとは!

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