美しい日本の私は、曖昧ではない

先日、4月16日は川端康成の命日でした。

ふと思い出して、随筆集を買いました。

川端康成随筆集 (岩波文庫)

川端康成随筆集 (岩波文庫)

 

4つの章立てのうち、第一章には、ノーベル賞記念講演「美しい日本の私」と、その翌年に書かれた随筆4篇が収録されており、講演で語った内容の背景がよく分かります。

計算されたタイトル

「美しい日本の私」というタイトルにひっかかる人は多いと思います。「思い上がってるんじゃないか?」と。確かに自分の国を「美しい」というのは、少し恥ずかしいです。

しかし、中身を見てみますと、美しいと思うものを正直に話しているだけで、自国の文化を「誇って」いるような印象は受けません。私は、このタイトルは「あえて」付けられたのだと思います。川端氏の芸術家としての計算があったのではないかと。

当時から、日本文化というのは、「異質なもの」「理屈でわからないもの」とよく言われてきました。本当のところ、日本文化には、どのジャンルをとっても、れっきとした発展の歴史があり、「理屈がある」のですが、何故そう言われるのかというと、西洋の学者がまともに関心を持って調べていなかったからです。外面だけを見て理解が及ばないので、「理屈がない」「神秘的」ということにして、評価を避けてきたのです。

サイデンステッカーやキーンのように、まともに日本文学を読む学者が出てきて、やっと変わり始めた頃でした。時流を読んだ川端氏は、世界に向けて、「日本には、美の追求の歴史がある」ということを強く言ってやろうと考えたのではないでしょうか。だから、少々煽り気味のタイトルになったと思うのです。

 「交流」の姿勢

ノーベル賞受賞が決まった翌日に、川端氏、三島由紀夫伊藤整の鼎談放送があったのですが(特別番組「川端康成氏を囲んで」, NHK)、その中で三島由紀夫が、川端氏の受賞は日本文学がやっと西洋に理解されてきた証であり、「日本」という「注釈」が要らなくなってきたと語っていました。伊藤整も、西洋に驚きを与えながら、その仲間に入っていくのはいいことだと話していました。

川端氏をよく知る二人がこのように話すように、川端氏は日本文化を「特殊」にしたいのではありません。むしろ逆に、「普遍」的な美を、日本の歴史の中に見つけ、世界と共有しようとしているのです。

川端氏は、決して日本文化の優位性を主張していません。表現を追求する世界の仲間達に向けて、「うちには、こういうものがありますよ」と、自分が一番よく知っているものを紹介し、「交流」しようとしているのです。随筆集収録「日本文学の美」で次のように言っています。

海外諸国との文化交流はいよいよ繁くなるなかで、世界の文化が万国博覧会のようにあるなかで、自分の国の文化を立ててゆかなければなりません。そして世界文化をつくるつもりが民族文化をつくることになり、民族文化をつくるつもりが世界文化をつくることにならねばなりません。

川西政明・編『川端康成随筆集』47頁)

「あいまいな」大江健三郎の講演

1994年、大江健三郎ノーベル文学賞記念講演「あいまいな日本の私」での、「川端批判」は、上に書いたような川端氏の意図・姿勢を完全にミスリードしたものでした。

川端氏が講演で語ったことを「東洋の神秘主義」と言い、引用された禅僧の歌を「閉じた殻」「理解が及ばないもの」としています。

このような日本文化への「偏見」こそ、川端氏が乗り越えようとしたものであるのに、全く意図を汲み取れていません。川端氏の講演から30年近く経っているというのに、まるで100年前に戻ったかのような、「古い」理解です。

結局、文学者であるにも関わらず、普遍的な美について語ることなく、個人的な嗜好、とりわけ「政治話」を長々としただけでした。それは、戦後日本という「特殊」な環境に浸かった人にしか通じないような、極めて内輪的な内容でした。世界から集まった文学者にとって、この講演の意図は分かりにくく、「あいまい」であり、「殻に閉じた」ものであったに違いありません。

理解が及ばないことを相手のせいにして、簡単に「神秘主義」のレッテルを貼るような態度が、すなわち「交流」を拒むような態度が、人々を戦争や非人道的行為に導くのだと、私は思います。

 

「美しい日本の私」全文 http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1968/kawabata-lecture-j.html

「あいまいな日本の私」全文  http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1994/oe-lecture.html