二年前、テレビのバラエティ番組を見ていると、北海道、礼文島の三井観光ホテルの横に住むおばあさんの事が紹介されていた。おばあさんは、海で拾ってきた貝でストラップを作り、家の二階の窓から観光客を見かけると、「これを持っていきなさい」とストラップを投げ渡しているそうだ。

この話を知って、日本にもこんな人がいるのだと嬉しくなった。東南アジア等を旅行すると、現地の人の、私達への「働きかけ」の度合いに、カルチャーショックを受ける。乗り物に乗り合わせただけなのに、積極的に話しかけてくれたり、お菓子や果物をくれたり、何らかのコミュニケーションを取って、楽しもうとしている。その場で仲良くなって、行き先まで付いてきて案内してくれる事だってある。この人は、最初はどこに行こうとしていたのだろうと不思議に思う事がある。

日本とは大違いだ。日本では、どこに行くか、誰と会うか、予め決まっていて、移動中に出会う人々とは基本的にコミュニケーションを取らない事になっている。道草をくって、約束の時間に遅れたりでもしたら大変だし、そもそも他人に話しかけるということ自体、変な目で見られかねない。そして約束の時間に知り合いに会うと、後はその人だけ、あるいはその仲間達だけの世界となり、身内の話で盛り上がって、一日が終わる。

東南アジアの人だって、気の合う仲間同士で集まって、内輪話で盛り上がる事もあるだろう。しかしその一方で、見ず知らずの他人に働きかける「余裕」を持っている。私は、こうした余裕こそが、「生きる」ことの本当の意味を知っている証拠なのだと、思う時がある。そして、その「余裕」とは、つまり〈「社会」との距離感〉なのだと考える。

 

私達は「社会」というものを、人間にとっての唯一絶対の存在基盤のように考えていないか。朝起きたら身だしなみを整え、学校や会社で人と挨拶を交わし、何らかの情報処理活動、生産活動に従事し、活動の合間に人と会話をしたり、一緒に食事をとったりする。こうした生活において、多くの人々が関心をもつ話題とは、自分や他人が社会の中で、どのような集団に属しているのか、また、その集団内の人間関係はどのようなもので、誰と誰が対立的で、誰と誰が友好的か、といった事だ。これは当然の事のように思われるかもしれないが、しかし、これらの関心事は、私達の「生きる」という事の全体ではない。

昔の人は、こういう関心事から成る世界を「俗世」とよび、世界全体と切り分けて思考してきた。しかし現代においては、人々の興味はこういった社会内部の出来事へ、狭まるように収束化しており、ついに、それが世界全体であるかのような倒錯が、倒錯ではなくむしろ当然の事のようになってしまっている。

人間は、社会的存在である以前に、本来、自然の中で暮らしていた動物である。地球上に生命が誕生したのが四十億年前、人類が誕生したのが二十万年前。こうした時間感覚の中で、人類が文明を作り始めた時期はというと、せいぜい四千年くらい前であって、私たちは、ここ最近になって急に、「言語」や「自己意識」というものを用いて「ちょっと変わった暮らし方」をし始めたのだ。つまり、文明=社会的生活とは、人類の歴史の中では相当「特殊」であって、普遍的ではない。

だから、「社会」にあまりにコミットした生き方、意識過剰になっている生き方は、偏っている。いわば「中毒」なのだ。「社会中毒」に陥ると人は、自分の事と、自分と利害関係のある人の事しか考えられなくなる。「社会」にハマればハマるほど、所属集団の人間関係や、自分の地位・経済状態といった事ばかりにしか思考が働かなくなる。それでは結局、社会内の基準、規則、コードをなぞるだけの人生になってしまう。

 

ある時、「それは人間本来の生き方ではない」と、気づく瞬間がある。その時に人は、文明=社会原理から距離を取ろうとする。距離を取ることによって、「余裕」を作る。

「余裕」の時間の中で、何をするかというと、一つは自然と親しむ。自然の動きをよく観察し、その変化を生活に取り込むことで、社会に穴があいて、新鮮な空気が流れ込んでくる。

もう一つは、同じ人間同士で、心を震わせ合う。「言語」と「自己意識」を発達させてしまった人類は、それゆえに、他の動物とは共有し得ない悩みや欲、孤独といったものを必然的に持ってしまう。それを癒してくれるのは、同じ思考能力を持つ人間の、心のこもった言動、あるいは創作物なのだ。

人に驚きや感動を与える言葉や行動は、社会原理に基づかないゆえに、必然的に無意味で、無利益である。礼文島のおばあさんが、貝のストラップを作って無償で観光客に投げ渡す行動は、経済学の観点からは説明できない。しかし、こうした行動にこそパワーが宿るのであり、人の心を震わせる。

「社会中毒」に陥っていない多くの東南アジアの人々はこの事を知っている。自分の時間を削ってまで、見ず知らずの私とコミュニケーションを取り、楽しさを共有しようとするのは、そうすることで社会に穴があいて、「生きる」ということが、そもそも何だったかを思い出せる事を、知っているからだ。

小学生の時、同級生と河原で遊んでいたら、その河原に住んでいるおじさんが、こちらに歩いてきて、私達に向かって言った。「わしらが子供の頃は、この坂を上りきれる奴は一人もおらんかった。あんたらは上っとる。あんたらは立派やから、頑張りなさい!」今考えてみると、その坂はそれ程急ではないし、昔の子供の方が現代っ子より体力があるのだから、そんな訳ないだろう、と思うのだが、おそらくおじさんは、何らかの「前置き」を付けて、とにかく私達に、「頑張れ!」と言いたかったのだろう。このおじさんの言葉の投げかけは、礼文島のおばあさんの行動と、本質的には同じである。一期一会の相手への、心をこめた贈与。そこには、「同じ人間だから」という考え方がある。私達が社会生活の中で、身内や仲間だけを大切に扱おうとするのとは、全く別の原理である。

 

三年前、NHK―Eテレ「心の時代」『国境なき針と糸』を見た。静岡県島田市で、無医村診療や老人介護に尽力しながら、戦火にまみれた故国アフガニスタンの救援活動を続ける、レシャード・カレッド医師が紹介された。レシャード医師は、毎週木曜、病院に通えなくなったお年寄りのもとへ往診に向かう。ベッドに横たわるおばあさん。

レシャード医師「どうです、おかわりないですかね?」

おばあさん「 元気で暮らしております。」

レシャード医師「けっこうですね。それはそれはよかったです。いい顔色なされていますよ。」

おばあさん「 恥ずかしい。ありがとう。」

レシャード医師「ご飯も美味しく食べれましたか?」

おばあさん「美味しく食べております。」

レシャード医師「よかったですね。」

おばあさん「勿体なくて、涙がこぼれます。嬉しくって、ありがたい。」

レシャード医師「どう致しまして。少しと言わずに、たくさん頑張ってもらって、まだまだ長生きして貰わないと。お大事に。」

おばあさんに手を添えて話しかけるレシャード医師。その優しい言葉に、おばあさんは号泣してしまった。その時のおばあさんの顔が、本当に心の底から救われた、有難い、という表情で、見ていてとても感動した。レシャード医師は言う。「私は、日本語の「手当」という言葉が凄く好きなんです。「手当(てあて)」というのは、手を当てるだけで診るんですよね。手を当てることで、子どもは泣きやむし、手を当てることによって、病人は安らぐ。そして悲しい人は悲しい時に手を当ててもらうだけで慰められるわけです。だから「手当」というのは、技術は要らない。根本は「手当」なんですよ。手を当てること、通じ合うこと、信頼しあうこと、寄り添うこと、それが「手当」というだろうなと思います。」

悲しみや絶望の淵で、誰かが手を差し伸べてくれた時、自分の〈存在そのもの〉に声をかけてくれる人がいた時、そういう時にこそ、人の心は震え、涙が出てくる。

江戸時代の国学者本居宣長は次のような歌を残している。

 

事しあれば うれしかなしと時々に うごくこころぞ 人のまごころ

 

宣長は、物事を理屈であれこれと言う態度を「漢意(からごころ)」といって批判し、それよりも、善悪などの一切の価値判断に関わることなく、物事に触れて自然に動く心の純粋な機能を尊んでいる。

たしかに、本当に嬉しかった事、感動した事というのは、言葉であれこれ言えないものだ。自然の見せる大きさ、複雑さ、あるいは人同士の心の機微、そういったものは社会原理を超えているがゆえに、言語で表しきれない。下手に言葉にすると嘘くさくなる。そこをなんとか、言葉を尽くして表現しようとする試みが「文学」であり、言語以外の形式を取るのが「芸術」である。

あるいは、「儀式」というものもある。たとえば、正月や祭りの日、成人式や結婚式に人は「晴れ着」を着るが、衣装にこだわる事で、「おめでとう」の一言では言い尽くせない、祝いの気持ちを、精一杯伝えようとしている。

「文学」であれ「芸術」であれ「儀式」であれ、その時々の自分の気持ちの高まりを、「形」で表現していく事は、つまり、「人生を愛でる」事なのだと、私は考える。

 

人生とは?私の人生は、宇宙の時間規模からすると、ほんの一瞬の出来事だ。私とは、物質のぶつかり合いによって偶然できたタンパク質の塊であって、今、一時の生を享受しているが、数十年経てばバラバラに崩壊し、宇宙の塵に戻る。それは私だけでなく、人類全員がそうである。さらにあと百億年もすれば太陽は膨張の末、収縮に転じて白色矮星となるという。その影響で、いつかの時点で地球に生物は暮らせなくなる。やがて、無数の銀河が互いに衝突を繰り返し、宇宙は次々と様相を変え、ついに宇宙そのものが、一点に収束して「無」になるという。

つまり、この世でやる事は、最終的には無意味なのであって、私達は何のために生きているかよくわからない。私達は、ただ単に、物質の合成によって「発生してしまった」存在であって、よくわからないが、とにかくこの世でしばらくの間、存在しているしかない。

この運命に抗うことはできず、私達はいつか自分の生を「諦め」なければならない。それならばせめて、そんな儚い自分の人生を、自分自身で慰めてやってもよいではないか。だから私達は、様々な「形」で、自分の人生を精一杯愛でてやるのだ。そして、たまにできる「余裕の時間」でもって、他人の人生も愛でてやろう。そうするとどうなる、という事でもない。ただ、戯れに、そうするのである。

 

縄文人は、火焔土器を作り、火の持つエネルギーを表現しようとしたのだろうか。あの、複雑であって同時に自然であるような、絶妙な形状を作り出すには、相当の集中力と、持続した意志が必要であり、その「形」を見れば、製作者の「情熱」を感じ取ることができる。時間を込めて、心を込めて、作った物にはパワーが宿り、数千年の時を経てもなお、私達の心に揺さぶりをかけてくる。

縄文人は文字を持たなかったのに、これ程堂々と、自己の内に湧き上がる気持ちを表現している。彼らはそうやって、自らの生を精一杯愛でたのであり、その作品に触れた私も、彼らの生を、愛でてやりたい気持ちになる。

一方現代人は、文字を使えるがゆえにそれに頼り、何かを書いたらそれで表現したつもりになって、時間をかけて物を作ろうとしない。また、何かに書かれていることを金科玉条のように崇め、「イデオロギー」を連呼するだけの人がいる。そういう人達の主張を、私は一番信用できない。

 

私達は、せっかく今、「存在」できているのであるから、今のうちに、この世の様々な物と戯れ、魂を活発に動かすのがよい。何かに書かれた規則やコード、集団内の人間関係、そういうものに縛られて過ごすのはもったいない。私達はもともと、社会とは関係のない生命体であり、本質的に自由であるはずだ。

誰になんと言われようと構わない、他の人には分からない、そんな「私だけの時間」を、誰もが持てるはずなのだ。何か趣味を始めるべきだと言っているのではない。公園を散歩するだけでいい。犬や猫に話しかけるだけでもよい。誰にも邪魔されない、自由な時間、「幸せな時間」を作り、自分のペースで、リラックスした心持ちで、人生を愛でていけばよい。