枢軸時代

私は大学生の時、まともに飯を食べず痩せこけていた。飯代をけちって、毎日本を買っていた。その本も、新品は滅多に買わず、高田馬場駅から大学までの通り沿いにある古本屋でよく買っていた。手元にある『プラトン』(田中美知太郎、一九七八)は定価一七〇〇円のところ、なんと百円で手に入れた。「ソクラテスの弁明」「クリトン」「パイドン」等八篇が収録され、解説、年譜も付いている。

ギリシャ哲学の研究の成果を、貧乏学生が百円で買えるのは、この思想が日本の中で広く受け入れられ、浸透した結果ではないかと、ふと考えた。国内にギリシャ哲学の研究者が複数人いて、その訳本や解説書を望む読者が一定数あるからこそ、それなりの出版数が実現する。流通量がそれなりにあるから、中には古本屋に売る人も出てくる。私は、この流通環境の恩恵にあずかって、プラトンの訳本を安価で入手できた訳だ。

学生時代、ギリシャ哲学の解説書を何冊か読んだが、それらの本からは、なにか著者の持つ熱量のようなものが感じられた。古代ギリシャへの憧憬だったり、それを研究することへの自尊心だったりが伝わってくるようだった。研究者同士が連綿と、熱い議論を交わしてきたのだろうと想像させる。

西洋の哲学が日本に本格的に入ってきたのは明治維新以降だが、近代哲学とその源流であるギリシャ哲学が、日本人になんとなく「はまった」のは、全く異質の教義として受容されたというよりは、何らかの親和性があったのではないかと思えてきた。全く異質であれば、理解不能として無視されたはずだ。実際は、多数の研究者によって熱心に翻訳、解釈が重ねられ、そして、貧乏学生が百円で書物に触れられる程にまで、人口に膾炙した。

 

最近、田中英道氏の著書の一節に、はっとさせられた。「ギリシャ半島は、必ずしもヨーロッパではありません。少なくともユダヤキリスト教文化圏ではありません。われわれは西洋の発祥の地としてギリシャを考えがちですが、東洋の一部といってもいいのです。(中略)たとえばギリシャ語で、自然は「フュシス」といいます。「フュシス」という言葉は「生み出す」「形成する」という動詞の「ピュオー」という言葉を基にしています。「誕生」「起源」です。生まれつきの性質という意味もあります。これは自然ということと、「自ら然り」、あるいは「自らが自動的に動く」という観念と同じで、自然というものを見たときに、ギリシャ人が感じたことを「フュシス」といっているわけです。」(『日本の宗教 本当は何がすごいのか』、二〇一四)この後に田中氏は、現在のヨーロッパ文化の主流であるキリスト教的価値観は、自然に対する態度の点で、ギリシャ哲学と異質のものであり、それよりも日本の神道の自然観の方が、共通性があることを主張している。

西洋文化の起源とされているギリシャ哲学を、むしろ東洋的とする見方は斬新だ。しかし私は、その共通性を日本の神道だけに限らず、もう少し広く他の思想と結びつけて説明しても良いような気がした。

たとえば老子老子は、万物の生まれ出てくる母体を「道」と呼んだが、「道」とはいわば「自然」のことだ。老子は「無為自然」と言って、人の手を加えず、自然の道に素直にしたがって生きることを理想とした。この考え方は、「フュシス」の概念と似ている。

老子はまた、次のようなことも言っている。「知りて知らずとするは上(じょう)なり。知らずして知るとするは病(へい)なり」(七一章)。有名な、ソクラテスの「無知の知」と同じことを言っている。孔子の『論語』にも、次の言葉がある。「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らざると為せ。これ知るなり」。さらに、原始仏典『法句経(ダンマパダ)』によると、ガウタマ(釈迦)も次のように言っている。「もしも愚者自らを愚であると考えれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、愚者だと言われる」(中村元訳『真理のことば 感興のことば』、一九七八)。

明治・大正の学者達は、仏教や漢学の知識も豊富であったから、彼らがギリシャ哲学と出合った時、どこかしら「聞いたことのある話」として受け入れた可能性がある。仏教や儒家、道家の説いた真理を、別の形で表したものとして、素直に理解できた可能性がある。

もう少し例を挙げよう。ソクラテス以前の哲学者にヘラクレイトスという男がいる。彼は「万物は流転する」と唱え、「同じ川には二度入れない」という言葉を残した。私達にとって、まず連想されるのは鴨長明の『方丈記』だ(「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」)。つまり、仏教的無常観に似たことを言っている。さらに彼は、その万物の変化は、無秩序ではなく、背後に「対立と調和」の法則があると言う。「みずからと対立するものは、みずからと調和している。逆方向に引っ張り合う力の調和というものがあるのだ。たとえば弓や竪琴の場合がそれである」(断片五一)。これも、仏教でいうところの「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」、つまり「縁起」に近い考え方といえる。また、この「対立と調和」の法則とは、すなわち自然の法則(ロゴス)のことを指しており、彼は、自然に従って不自然なことをするなとも言っている。ここで彼の思想は、老子の「無為自然」にも接近する。

時代は進み、ディオゲネスという男が現れる。ディオゲネスは、身体と精神の鍛錬によって、本当の幸福が得られると考え、苦行を重んじた。粗末な上着のみを着て、酒樽の中で暮らし、周囲からは「まるで犬だ」と言われた。彼は、動物がそうであるように、必要最低限の満足だけで生活し、それと対立する人為的なもの、すなわち知識や「ノモス」(習慣・法律)を、全て退けた。彼の実践は、「煩悩」と対峙したガウタマの生涯を彷彿とさせるし、また、「無知無欲」を説いた老子の思想とも共鳴している。

ディオゲネスの考えは、ヘレニズム期のストア派に受け継がれる。ストア派は、「自然」と一致した「理性」に従うことによって「情動」から解放されることを目指した。「情動」から自由になった平静な心の状態を「アパテイア」という。同時代のエピクロスが唱えた「アタラクシア」とほぼ同義だ。これは、仏教でいうところの「涅槃」(煩悩の火を吹き消した状態)に非常に似ている。また老子道徳経にも、「道」を修めた哲人の、静かな心の状態を表現した箇所がある。「虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。万物は並び作(お)こるも、吾れは以て復(かえ)るを観る。夫れ物の芸芸(うんうん)たる、各々其の根(こん)に復帰す。根に帰るを静と曰い、是れを命(めい)に復ると謂う。」(一六章)

 

哲学者カール・ヤスパースは、一九四九年に刊行した『歴史の起源と目標』の中で、「枢軸時代」という概念を提唱した。枢軸時代とは、紀元前五〇〇年前後、中国では諸子百家、インドではウパニシャッドや仏教、イランではゾロアスターパレスチナではイザヤ、エレミヤ等の預言者、ギリシャでは詩人や哲学者が、互いに影響を与えることなく、異なる場所で同時に、思想を展開した時代を指す。この事実は、考えてみると不思議なことだが、ある程度、合理的な説明が可能であるように思われる。

ここまで見てきた、道家、仏教、ギリシャ哲学の思想で共通している考え方は、「知識・文明への懐疑」「欲の制御」「自然に従う」といったことだ。なぜ彼らは、それまで発展させてきた文明を否定し、自然に戻ろうとしたのだろう。

おそらく、文明の発展に伴い、人々の意識に変化が生じたことがあるように思われる。実は、中国、インド、ギリシャで、本格的な文明社会が始まった時期は、大体一致している。中国最古の王朝とされる夏、インドのハラッパー、ギリシャのエーゲ文明は、どれも紀元前二〇世紀前後に起こった。そこから千年以上、都市生活を営む中で、人間の思考も変わっていったのではないか。ひとつは、文字の使用による、科学的思考能力の発達が挙げられる。人類は文字の獲得により、情報を空間的に固定できるようになった。ウォルター・J・オングの研究によると、人類の文化が聴覚中心から視覚中心へと移る中で、人々は「状況依存的」な思考から抜け出し、「分析的」「抽象的」に物事を考えられるようになった(Orality and Literacy, 1982)。ギリシャ哲学は、自然科学から始まったが、それは、ギリシャ人が、状況依存的な「神話」の思考とは別に、世界の成り立ちを「分析的」に考え始めた事を意味する。物事を状況から切り離し、客観的に観察するようになったのだ。その物事というのは、自然界の事だけではなく、「自分自身」も含まれてくる。「自己」を対象化し、その「生き様」を客観的に考察する動きが出てきてもおかしくない。

つまり、人類は文明を築いたが故に、科学的思考能力を発達させ、自分の人生についても合理的に考えるようになった。そして、神話、占い、宗教、スピリチュアルといったものから距離を置く考え方が出てきた。例えば、ガウタマの思想は、基本は原因と結果の因果則に基づいており、非常に科学的な思想であって、現代の仏教が持つ神秘的なイメージとは程遠いものだ。また、中国の諸子百家が議論したのは、現実的、政治的な事のみで、死後の世界については語らなかった。最も形而上学的とされる老子荘子でさえ、魂とか天国といったことには言及していない。

宗教やスピリチュアルといったものが、人がこの世で遭う不条理や苦しみから一旦、目を逸らさせ、癒しを与えるものだとするならば、枢軸時代の思想は、それとは違う意義を持っている。ヤスパースによる枢軸時代の定義はこうだ。「この時代に始まった新しい出来事と言えば、(中略)人間が全体としての存在と、人間自身ならびに人間の限界を意識したということである。人間は世界の恐ろしさと自己の無力さを経験する。人間は根本的な問いを発する。彼は深淵を前にして解脱と救済への念願に駆られる。自己の限界を自覚的に把握すると同時に、人間は自己の最高目標を定める。人間は自己の存在の深い根底と瞭々たる超存において無制約性を経験する。」

枢軸時代の思想は、「自分はいつか消滅する」という不条理から目を逸らさず、それに真っ向から立ち向かっている。人生の有限性を自覚し、限られた時間の中で、どうすれば美しく生きたと納得できるかを模索している。そうした立場からすると、都市の中で目先の欲にとらわれ、それが満たされなくて苦しみ続けるような生き様は、耐え難いのだ。

先に「ギリシャは東洋」という田中氏の言葉を引いたが、ここまで見て分かるように、本当は西洋も東洋もない。紀元前五〇〇年頃に同時多発的に発生した思想群は、都市を築いた人類にとっての、必然の結果なのだ。